竹久夢二『立田姫』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||
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竹久夢二『立田姫』 |
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晩年の大作『立田姫』は、作者自身が、
「自分の一生涯における総くくりの女だ。ミス・ニッポンだよ。」 と語ったと伝えられている、作者が到達した理想の女性像です。 鮮やかな赤い着物を着て、こちらに背を向けて立つ姿は、 大胆にデフォルメされ、作者が描く美人画の特徴であるS字のポーズをとっています。 画賛の漢詩は、中国の詩人・杜甫の「歳晏行」の一部を引用したもので、 「去年は米が高くて日常の食にも事欠き、 今年は米が安く農民は苦しい生活をしなければならない。」 という意味です。 ◆ 竹久 夢二(たけひさゆめじ)(Yumeji Takehisa)◆ 1884 9月16日、岡山県邑久郡本庄村に生まれる。本名、茂次郎。 1899 神戸中学に入学。12月、同校中退。 1900 福岡県遠賀郡八幡村大字枝光に転籍。 1901 上京。 1902 早稲田実業学校に入学。 1905 「直言」にコマ絵掲載される。 「中学世界」に“筒井筒”が第一賞入選し、投書家時代を終える。 1909 最初の著作「夢二画集・春の巻」発行。 ベストセラーとなり、夢二の抒情画は天下にひろまる。 1912 京都府立図書館において第1回夢二作品展覧会開催。 1918 京都府立図書館において第2回竹久夢二抒情画展覧会。 1931 アメリカ・ヨーロッパへ旅立つ(昭和8年帰国)。 1934 9月1日富士見高原療養所で50歳の生涯を閉じ、有島生馬氏らにより雑司ケ谷墓地に埋葬される。 竹久夢二は、明治末から昭和初期にかけて活躍、一世を風靡した詩画人です。 大正の歌麿とも言われているように、その作品には市井のくらしに根付いた喜びや悲しみが表わされ、 一世紀に近い時を経た今も人々の心を魅了します。美人画はもちろん、 子供画や晩年は日本の山河を多く主題としました。 また、木版画の制作、楽譜や表紙装幀にも携わり、浴衣・半襟・手拭いなど日々の生活に用いるものの デザインにも情熱を注ぎ、日本のグラフィックデザイナーの先駆者として多くの素晴らしい作品を残しました。 |
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