柴山全慶『雲去来』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||
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柴山全慶『雲去来』 |
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『雲去来(くもきょらいす)』
晴れてよし曇りてもよし富士の山 元の姿はかわらざりけり 不動の山と去来する雲とが一体となって人の心をとらえて魅了する大自然の妙景である。 山も雲も真理の現われ。 煩悩の雲が来れば来るにまかせ、去れば去るにまかせて、少しもそれにとらわれ動かされないことが肝要。 「人間もかくの如くあれ」と説いている。 雲は無心に自由に山頂を去来する。 (※柴山全慶老師法話・色紙集『松竹梅』より抜粋) 本作品は、不思議な魅力を持ち、世界に禅を導かせた、南禅寺派第九代管長である、 柴山全慶老師のオフセット印刷・色紙です。 ◆ 柴山 全慶(しばやま・ぜんけい) 1894 11月30日、愛知県葉栗郡浅井町に、七人兄弟の次男として生まれる。幼名、真一。 1905 愛知稲沢の国分寺、服部全冷和尚につき出家得度。 1914 関西学院高等部英文科に入学。 1916 南禪寺僧堂に掛搭。 1923 南禪寺塔頭慈氏院住持となり、同時に、僧堂へ通参。 河野霧海老師の法嗣となる。 1930 エスペラント誤訳「十牛図」刊行。 1937 花園大学の前身、禅門高等学院で禅学講座の教鞭をとり、教授となる。 1940 大谷大学の教授に就任。 1944 南禪寺派宗務総長となる。禅宗信徒聖典などを編集。 1948 慈氏院を退き、南禪僧堂師家、蒼蔔林寺住持に就く。 1954 世界仏教徒会議出席の為ビルマへ。 1959 南禪寺管長となる。 1965 鈴木大拙博士の要請で一回目の訪来。 1974 伊勢金剛証寺に御親化。 5月、京都府立大学病院に入院後、「英訳無門関」など、著書多数を完成。 8月29日夜半、逝去。享年80歳。 |
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