東洲斎写楽『都座楽屋頭取口上図』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||||||
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東洲斎写楽『都座楽屋頭取口上図』 |
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40・都座楽屋頭取口上姿
この図は、都座の楽屋頭取(多分篠塚浦右衛門)が舞台で口上の巻をひろげてつぎに上場する狂言や役者名、役名を読上げている図である。 楽屋頭取とは、こうした口上の読上げの外、楽屋全体の取締リや舞台の進行を計る役目であって、かつては一流の役者ではないが芝居のこと、故実やしきたりのことに精通し、その上役者たちにも顔のきく古参の役者がこの位置につくのである。 この図を見ても、その顔面描写に、その年輪のほどがうかがえて、まことに写楽の顔面描写の卓抜さには驚嘆すべきものがある。世界の肖像画家としての技倆は、この一図だけでも認められていい。しかもこの絵は僅かに柿色の裃と藍地の単衣だけの色彩である。それでいて、絵にこれだけの厚味と奥行きがあるのである。 巻の裏からすけて見える文字は、「自是二番目新板似顔奉入御覧候」とある。これによって、本図は、第一期につづいて、第二期作品の序図と見るべきである。 ◆東洲斎 写楽(Sharaku Toshusai)◆ 1794年にデビューし、およそ10ヶ月間に約140点の錦絵を描いて、忽然と姿を消した江戸時代の浮世絵師。 『江戸名所図会』などで知られる斎藤月岑が、写楽の本名は阿波の能役者、斎藤十郎兵衛であると、 書き残しているが、十郎兵衛の実在が確認出来なかったことから、誰か有名な絵師の変名ではないかと いうことで、「写楽別人説」が唱えられた。 写楽の作品は、殆どが役者絵である。描かれた役者と役柄から上演時期が判明しており、 役者絵の発表時期は4期に分けられる。なお、すべて蔦屋重三郎の店から出版されている。 第一期が1794年5月(28枚)、第二期が1794年7月・8月、第三期が1794年11月・閏11月、第四期が1795年1月に 当たる。写楽の代表作とされるものは第一期の作品で、後になるほど生彩を欠いてしまう。 このほかに相撲絵なども残している。 画風はきわめて個性的で、勝川春草により始められた個性描写をさらに発展させ、鋭い観察眼をもって 俳優の表情や手の動きなどをとらえてそれを造形的に強調し、みる者に強く印象付ける。 しかし、当時は、その醜悪な程の迫真的な作風が俳優や観客の不評をかい、絵師としての生命を縮めた。 大正時代に、ドイツの美術研究家クルトが、写楽はレンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と激賞し、 日本でも再評価されるようになった。 |
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