東洲斎写楽『富田兵太郎』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||||||
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東洲斎写楽『富田兵太郎』 |
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32・市川男女蔵の富田兵太郎
この図は、寛政六年七月、河原崎座で上演の「二本松陸奥生長」の市川男女蔵役富田兵太郎を描いた作で、父親の介太夫が川島治部五郎に殺害される場にかけつけ、闇夜に提灯を治部五郎に差しつけ、刀に手をかけている姿は、第十六図の二世大谷鬼次の治部五郎と対になるものである。 暗夜を行く不安定な気分が、その足の運びに如実に示され、この役柄の表情が完全に描出されている。一見平凡に見えていて、写楽の神経の細かい観察力の非凡な手腕を知ることが出来る。 着物の薄紫に、袴の濃い草色が、背色の鼠地と落着いた配色を見せ、第十六図と併せ見ることによって、さらに効果的である。落款は東洲斎写楽であって、同じ細判でも後の単に「写楽画」とあるものとは格段の出来栄えである。 ◆東洲斎 写楽(Sharaku Toshusai)◆ 1794年にデビューし、およそ10ヶ月間に約140点の錦絵を描いて、忽然と姿を消した江戸時代の浮世絵師。 『江戸名所図会』などで知られる斎藤月岑が、写楽の本名は阿波の能役者、斎藤十郎兵衛であると、 書き残しているが、十郎兵衛の実在が確認出来なかったことから、誰か有名な絵師の変名ではないかと いうことで、「写楽別人説」が唱えられた。 写楽の作品は、殆どが役者絵である。描かれた役者と役柄から上演時期が判明しており、 役者絵の発表時期は4期に分けられる。なお、すべて蔦屋重三郎の店から出版されている。 第一期が1794年5月(28枚)、第二期が1794年7月・8月、第三期が1794年11月・閏11月、第四期が1795年1月に 当たる。写楽の代表作とされるものは第一期の作品で、後になるほど生彩を欠いてしまう。 このほかに相撲絵なども残している。 画風はきわめて個性的で、勝川春草により始められた個性描写をさらに発展させ、鋭い観察眼をもって 俳優の表情や手の動きなどをとらえてそれを造形的に強調し、みる者に強く印象付ける。 しかし、当時は、その醜悪な程の迫真的な作風が俳優や観客の不評をかい、絵師としての生命を縮めた。 大正時代に、ドイツの美術研究家クルトが、写楽はレンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と激賞し、 日本でも再評価されるようになった。 |
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