東洲斎写楽『大岸蔵人の妻やどり木と腰元若草』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||||||
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東洲斎写楽『大岸蔵人の妻やどり木と腰元若草』 |
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31・二世瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木と中村万世の腰元若草
第一期の作品中に含まれる二人立半身像は、いずれも、色彩にも人物にも一つの対照を見せているのが特徴である。この図でも、やせた富三郎と肥った万世の対照、比較的薄色の配色の富三郎と濃い色彩の万世との対称がある。そこに均衡と画面の安定がある。また神経質的な鋭角的な富三郎の面貌に対して、万世は丸味のある豊頬、さらに眼の描き方、手の方向、これも対称的である。この一つの対照が、どうにも動かせない必然的な構図となってわれわれに迫力となって迫ってくるのである。 この写楽の技巧は、二人立半身像で常に用いるにもかかわらず、われわれを魅了する力がある。そこには寸分のすきもないのである。 この図は寛政六年五月都座上演の「花菖蒲文禄曽我」の登場人物である。やどり木の図は第22図にも描かれている。 ◆東洲斎 写楽(Sharaku Toshusai)◆ 1794年にデビューし、およそ10ヶ月間に約140点の錦絵を描いて、忽然と姿を消した江戸時代の浮世絵師。 『江戸名所図会』などで知られる斎藤月岑が、写楽の本名は阿波の能役者、斎藤十郎兵衛であると、 書き残しているが、十郎兵衛の実在が確認出来なかったことから、誰か有名な絵師の変名ではないかと いうことで、「写楽別人説」が唱えられた。 写楽の作品は、殆どが役者絵である。描かれた役者と役柄から上演時期が判明しており、 役者絵の発表時期は4期に分けられる。なお、すべて蔦屋重三郎の店から出版されている。 第一期が1794年5月(28枚)、第二期が1794年7月・8月、第三期が1794年11月・閏11月、第四期が1795年1月に 当たる。写楽の代表作とされるものは第一期の作品で、後になるほど生彩を欠いてしまう。 このほかに相撲絵なども残している。 画風はきわめて個性的で、勝川春草により始められた個性描写をさらに発展させ、鋭い観察眼をもって 俳優の表情や手の動きなどをとらえてそれを造形的に強調し、みる者に強く印象付ける。 しかし、当時は、その醜悪な程の迫真的な作風が俳優や観客の不評をかい、絵師としての生命を縮めた。 大正時代に、ドイツの美術研究家クルトが、写楽はレンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と激賞し、 日本でも再評価されるようになった。 |
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