東洲斎写楽『鷺坂左内』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||||||
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東洲斎写楽『鷺坂左内』 |
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19・三世坂東彦三郎の鷺坂左内
寛政六年五月河原崎座上演の「恋女房染分手綱」に登場する人物鷺坂左内を描いたのがこの絵である。この狂言の由留木家の御家騒動で悪人方は鷲塚官太夫で、善人方は鷲坂左内である。この図は伊達の与作(第27図)の勘当場の左内であることが絵本番附によってわかる。端正な彦三郎の風猊が、この役にぴったりであることが、その顔の輪郭、眼の上の中途からひかれたマブタの筋の弧線と引き上げられた眼、力強い唇の線などによって十分把握されている。 いかにも切実味のある表情である。そして、構図的に、ここにも写楽独特の類似型描写が見られ、つまり左内の左向きの顔と右手にもつ雪洞の形の類似の二つが左右にあって、この絵に安定が与えられている。色彩は濃く、濃紫の着付けと橙色の肩衣が、写楽としては珍らしく濃厚で、この配色はいささかしつっこい。しかし、この絵が夜であることを考えると、写楽の意図もそこにあったのではないかと考えられる。 三世坂東彦三郎については、第18図の解説に記してあるが、「場当りを好まず」「コセつかぬ芸風」の評語そのままがこの絵に現われ、「至って実体なる気質、民俗律義なり」の彦三郎の性格も表現されている。 ◆東洲斎 写楽(Sharaku Toshusai)◆ 1794年にデビューし、およそ10ヶ月間に約140点の錦絵を描いて、忽然と姿を消した江戸時代の浮世絵師。 『江戸名所図会』などで知られる斎藤月岑が、写楽の本名は阿波の能役者、斎藤十郎兵衛であると、 書き残しているが、十郎兵衛の実在が確認出来なかったことから、誰か有名な絵師の変名ではないかと いうことで、「写楽別人説」が唱えられた。 写楽の作品は、殆どが役者絵である。描かれた役者と役柄から上演時期が判明しており、 役者絵の発表時期は4期に分けられる。なお、すべて蔦屋重三郎の店から出版されている。 第一期が1794年5月(28枚)、第二期が1794年7月・8月、第三期が1794年11月・閏11月、第四期が1795年1月に 当たる。写楽の代表作とされるものは第一期の作品で、後になるほど生彩を欠いてしまう。 このほかに相撲絵なども残している。 画風はきわめて個性的で、勝川春草により始められた個性描写をさらに発展させ、鋭い観察眼をもって 俳優の表情や手の動きなどをとらえてそれを造形的に強調し、みる者に強く印象付ける。 しかし、当時は、その醜悪な程の迫真的な作風が俳優や観客の不評をかい、絵師としての生命を縮めた。 大正時代に、ドイツの美術研究家クルトが、写楽はレンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と激賞し、 日本でも再評価されるようになった。 |
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