東洲斎写楽『金貸石部金吉』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||||||
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東洲斎写楽『金貸石部金吉』 |
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11・嵐竜蔵の金貸石部金吉
この絵は、寛政六年五月都座上演の「花菖蒲文禄曽我」に登場する役で、敵討をする石井兄弟に助力する田辺文蔵(第23図)の貧家に借金のとりたてにくる強慾な金貸の役であるが、その因業さが、その顔面によく描写されている。ま一文字に結ばれた口、アゴの皺、そして両眼のにらみと、袖をまくりあげた左手の構え、まさに迫力のある描写といえる。 顔面、姿態の、この迫真の描写によって、画面の大部分を占めている黄八丈の着物の単調さが、むしろ効果を与えていると思われる。しかも、襦袢の黒襟が、強く画面を引きしめている。写楽の描写力と役柄の把握力が、単的にみられる作品といえる。 嵐竜蔵は、実悪方として、当時は「上上白吉」の位を与えられていた役者で、写楽は、その特異な渋い風貌を好んだらしく、他にもこの役者を描いている(第14図)。この竜蔵は寛政十年に三代目嵐七五郎を襲名しているが、その年の十一月に三十八歳で没したから、顔とちがって年令的には若く、竜蔵この時三十四歳であった。 ◆東洲斎 写楽(Sharaku Toshusai)◆ 1794年にデビューし、およそ10ヶ月間に約140点の錦絵を描いて、忽然と姿を消した江戸時代の浮世絵師。 『江戸名所図会』などで知られる斎藤月岑が、写楽の本名は阿波の能役者、斎藤十郎兵衛であると、 書き残しているが、十郎兵衛の実在が確認出来なかったことから、誰か有名な絵師の変名ではないかと いうことで、「写楽別人説」が唱えられた。 写楽の作品は、殆どが役者絵である。描かれた役者と役柄から上演時期が判明しており、 役者絵の発表時期は4期に分けられる。なお、すべて蔦屋重三郎の店から出版されている。 第一期が1794年5月(28枚)、第二期が1794年7月・8月、第三期が1794年11月・閏11月、第四期が1795年1月に 当たる。写楽の代表作とされるものは第一期の作品で、後になるほど生彩を欠いてしまう。 このほかに相撲絵なども残している。 画風はきわめて個性的で、勝川春草により始められた個性描写をさらに発展させ、鋭い観察眼をもって 俳優の表情や手の動きなどをとらえてそれを造形的に強調し、みる者に強く印象付ける。 しかし、当時は、その醜悪な程の迫真的な作風が俳優や観客の不評をかい、絵師としての生命を縮めた。 大正時代に、ドイツの美術研究家クルトが、写楽はレンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と激賞し、 日本でも再評価されるようになった。 |
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