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東洲斎写楽『帯屋長右衛門と信濃屋お半』

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技法(種別)  
木版画 
外寸サイズ
44×37cm
内寸・その他サイズ
30×20cm

[補足説明]
新品 額付 用紙:越前生漉奉書・手摺り 復刻版
 
店頭価格 15,750円(税込)
販売価格 8,400円(税込)

[作品のお問い合わせ]
10・三世坂東彦三郎の帯屋長右衛門と四世岩井半四郎の信濃屋お半
 この絵は、寛政六年七月河原崎座上演二番目狂言の「桂川月思出」のお半長右衛門道行の場を描いた作である。写楽は第二期作品中、大判全身二人立の作を七枚描いているが、これはその内の一図である。七枚中では最もおだやかな絵である。
というのも、お幸長右衛門の道行という常磐津を伴奏としての振事で、その色気のある雰囲気を写楽は描き出そうとしたためであろう。道行の場合、女役の方に口説きがあって、振りが多く、男役の方はもたれ役といって振りは少ない。この絵でも長右衛門の方はじっと立っている姿、お半の方は振事の一瞬きまった姿である。
したがってこの絵では半四郎のお半の姿が焦点であり、あどけないお半の姿態の表現をする半四郎が、実に巧みに描かれている。この絵を見ていると、伴奏の常磐津の旋律が流れてくるように思われるほど、舞台の情趣が感じられる。当時半四郎は四十八歳、それが十三歳のお半に扮している。その芸の力までを写楽は描き出している点、まことに非凡な表現力といえよう。
 四代目岩井半四郎は、四世市川団十郎の門に入り、のち岩井家の養子となって四世となった。この人は丸顔であったので俗にお多福半四郎と呼ばれたが、その面影は写楽によって的確に描破されている。音調はいくらか吃る癖があったという。芸風は花やかで愛嬌があり、写実的であった。
世人は彼を「目黒(そこに別荘があった)の太夫」または「白金の太夫」とも呼び、天明、寛政時代の女方の一流であった。寛政十二年三月、五十四歳で没した。
 三世坂東彦三郎は、八世市村羽左衛門の末子で、尾上菊五郎の養子である。和事実事に長じ、所作事も堪能で、その人格も高く「常に野卑なる事を好まず、画をなし茶事を好み」といわれている。その芸格、人格を写楽はやはり完全にとらえている。文化、文政時代に名優といわれた。文政十一年二月、七十五歳で没した。この時彦三郎は四十一歳であった。

◆東洲斎 写楽(Sharaku Toshusai)◆
 1794年にデビューし、およそ10ヶ月間に約140点の錦絵を描いて、忽然と姿を消した江戸時代の浮世絵師。
 『江戸名所図会』などで知られる斎藤月岑が、写楽の本名は阿波の能役者、斎藤十郎兵衛であると、
書き残しているが、十郎兵衛の実在が確認出来なかったことから、誰か有名な絵師の変名ではないかと
いうことで、「写楽別人説」が唱えられた。

 写楽の作品は、殆どが役者絵である。描かれた役者と役柄から上演時期が判明しており、
役者絵の発表時期は4期に分けられる。なお、すべて蔦屋重三郎の店から出版されている。
第一期が1794年5月(28枚)、第二期が1794年7月・8月、第三期が1794年11月・閏11月、第四期が1795年1月に
当たる。写楽の代表作とされるものは第一期の作品で、後になるほど生彩を欠いてしまう。
このほかに相撲絵なども残している。

 画風はきわめて個性的で、勝川春草により始められた個性描写をさらに発展させ、鋭い観察眼をもって
俳優の表情や手の動きなどをとらえてそれを造形的に強調し、みる者に強く印象付ける。
しかし、当時は、その醜悪な程の迫真的な作風が俳優や観客の不評をかい、絵師としての生命を縮めた。
 大正時代に、ドイツの美術研究家クルトが、写楽はレンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と激賞し、
日本でも再評価されるようになった。





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