天野和敏『バナナ』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||
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天野和敏『バナナ』 |
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【作品解説】
神様の知恵シリーズ 「バナナ」 絵画の歴史をひも解くと、題材として宗教が数多く取り扱われてきたことがわかります。 世界各国に生まれた宗教は、建築・絵画・彫刻などを発展させたといっても過言ではありません。 とりわけ人類史上のベストセラーでありロングセラーでもある聖書に登場する内容を題材とした、おびただしい数の作品がヨーロッパの美術館には収蔵されています。聖書が人類史上のベストセラーとなり、ロングセラーにもなっている理由は、その内容が人類の目的に一致しているからに他なりません。 そんな聖書を参考に、人類の置かれている環境を観察してみますと、人類始祖アダムとエバの堕落以降、人類は親であるはずの創造主、神様と何の関係もない孤児のような位置に立つようになってしまったことがわかります。親がいるのか、いないのかさえ、わからずに、この世のルールさえも充分にわからぬまま、さまよい歩いているような人生を繰り返すだけの人類になってしまいました。 神様が創造なさった万物が周りにあるにもかかわらず、そこから神様の愛情が感じられない人類となってしまいました。もし、本当に神様がいらっしゃるのなら、その存在をどうすれば感じることができるのでしょうか。そこで私は、神様が実在することの証拠探しをすることにしました。 この作品「バナナ」には二人の天使が描かれています。大きな天使は「フェイマス」。フェイマスの背中に乗っている小さな天使が「ケトラパス」です。二人が一本のバナナを取り合っている場面を描きました。 フェイマスはバナナを左手に持っています。バナナを手に持って食べる事は、私たちが日頃から、ごく普通にしていることです。しかし、こんな、ごく普通の事の中にも神様の知恵が隠されており、神様の意思が感じられます。なぜなら、バナナは必ずしも人間の手で握れる大きさでなくても良いはずだからです。もし、神様などいらっしゃらず、万物が何の目的もなく偶然に出来上がっただけのものであるなら、バナナの大きさが100メートルあっても不思議ではないはずです。それどころか宇宙の大きさから考えれば1キロバナナがあっても、100キロバナナがあっても良いはずです。 あるいは長さが、わずか1センチのバナナだったらどうでしょうか。小さな皮をむいて、わずかな果肉を食べても人の食欲を満たし、充分な栄養を提供できなかったことでしょう。バナナが自生する地域の動物は、仕方がなく他の食べ物を探したのでしょうか。 しかし、バナナにも設計者がいて、人間や、その他の万物との関連性も考慮したからこそ、私たちが知っているバナナの大きさになったのだと考えられるのではないでしょうか。 ■ 天野 和敏(あまの・かずとし)■ 1969年 9月27日、静岡県藤枝市に生まれる。 1987年 洋画研究所に通い、本格的に絵を習い始める。 1990年 日本デザイナー学院(東京)卒業。 1995年 アトリエ・サン・クルーにて初個展。 1996年 由美画廊にて個展。 1998年 GALLERY 55を開廊する。 2001年 静岡グランシップ「アートフェスティバル静岡」に出店。 2002年 「ART PARADISE」発行開始。 2003年 「GALLERY 55」の名称を「天和美術館」に変更する。 天和美術館第一回常設展開催。 2004年 天和美術館をホームページ上での運営に切り換える。 2005年 芸術世紀フェスティバル2005に「ねずみ」を出品、優秀賞を受賞する。 『こびとの森』とは、天野和敏がその妻と二人で創作している物語です。 「こびとの森」には天上の世界からやってきた幼い天使のこびとちゃんたちが登場します。 天使たちの姿は人の目には見えませんが、神様の願いを受けて、いつも私たち人間が幸せになる方向へと 導くお手伝いをしているのです。 |
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