天野和敏『えものまち』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||
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天野和敏『えものまち』 |
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■お姫さまへの手紙■
「えものまち」 次のお休みの日には どんな楽しいことが待っているのだろうかとわくわくすることを忘れてしまった時のお姫さまへお姫さま、いかがお過ごしでしょう。 今日もお姫さまが素敵な暮らしをなさっていることを願っております。 さて今回はお姫さまに住まいの提案の一つとして水路のお話をさせていただきたいと思います。どうかお付き合い下さい。 お姫さまには、お庭に水路を通すことをおすすめしたいのです。 水路の幅は1メートル前後が良いでしょう。自然にできた小川が流れているのであれば、より理想的かもしれません。お庭に美しい水が流れているのは何とも心地良いものです。きっと豊かな気持ちにさせてもらえることでしょう。 思い浮かべてください。庭を水路が横切れば、そこには橋が必要になります。その橋の上から水の中を覗いてみて下さい。 魚や小さな生き物たちが暮らしているのを観察することができるでしょう。 辺りの木々には多くの鳥や虫たち、それから小さな動物たちも姿を見せることがあるでしょう。 自然の中で生きるものたちも水を必要とするからです。 程よい日差しは木々の隙間からやってきます。静かに流れる美しい水。日差しの強い季節には橋の下には特に多くの魚たちが集まってくることもございます。魚も過ごしやすい場所を常に探しながら暮らしているからです。 お姫さまが橋のそばに立ちますと橋の下に集まっていた魚たちが水路を素早く泳いで逃げてゆく姿を目にすることもあるでしょう。そんな警戒心のある魚たちでも、水草や水路の周辺に伸びた草木の陰に隠れた時には比較的、警戒心が薄れることがございます。そんな時に釣り糸を垂れれば案外、簡単に釣れることもあることでしょう。 余談ではありますが、お姫さま、世の中には魚を釣ることを楽しみとする者は多くいます。彼らの中には釣りの最中に猫が寄ってくるという場面に出くわす者も少なくありません。そのような猫たちは釣り人が魚を釣り上げることを知っているのです。猫は、その釣り場に何度も足を運んでいる者とは顔見知りです。それで釣り上げた魚をもらおうと、ちゃっかり待機しているのです。 さて、お姫さま、そんなふうに集まってくる猫たちの中でも、どこかに主人がいて寝床も食べ物も保障されている猫は優しい顔をしています。その一方で主人のいない猫は、どこか険しい顔をしています。それは安心できる棲みかや充分な食べ物がないことだけが理由ではありません。充分な愛情を受けてこなかったからです。そういう子たちは幼い頃に自分の親からも何らかの事情があって引き離されてしまっている場合も多くございます。親からの愛情を受けていない子は特に険しい表情をしています。大きく育つまでに、誰からも守られることなく酷い仕打ちをたくさん受けてきたのでしょう。 この世の主人は人間です。ですから険しい表情をした、野良猫たちの集まりにも人間が愛情をかけてあげれば、みな優しい子に変わっていきます。必要以上に食べ物や棲みかを奪い合う必要がなくなるからです。お姫さまも、そんな猫をたちを見かけた時には守ってあげて下さい。少しも問題はありません。愛は法を超越することくらい、どなたでも知っていることでしょう。 お話を水路に戻しましょう。お姫さま、水路は、けして特別なものではございません。お庭を通すのが難しかったとしても、お屋敷に隣接するように水路を通すことは、ごく普通にあるはずです。人も生きていく為に水を必要としますし、雨が降れば、その雨水を処理する水路が必要となるはずだからです。お姫さまのお屋敷の周辺にも小川や水路は、たくさんあることでしょう。もし美しい水路がないとするならば、それは天宙を創造なさった神様の、つまり私たちの天のお父様の思い描いていた世界とは大きくかけ離れているというほかはありません。 水路が美しくないのは、そこを流れる水が美しくないということです。天のお父様の計画では我が息子・娘の暮らす住まいの周囲には美しい水路が流れていたのです。そのために美しい水が流れるように工夫すれば良いのです。水路にたくさんの生き物が棲めるようにすることが正解です。それができていないのならば仕組みが違っています。 ではお姫さま、美しい水路を作り、楽しんで参りましょう。 ■ 天野 和敏(あまの・かずとし)■ 1969年 9月27日、静岡県藤枝市に生まれる。 1987年 洋画研究所に通い、本格的に絵を習い始める。 1990年 日本デザイナー学院(東京)卒業。 1995年 アトリエ・サン・クルーにて初個展。 1996年 由美画廊にて個展。 1998年 GALLERY 55を開廊する。 2001年 静岡グランシップ「アートフェスティバル静岡」に出店。 2002年 「ART PARADISE」発行開始。 2003年 「GALLERY 55」の名称を「天和美術館」に変更する。 天和美術館第一回常設展開催。 2004年 天和美術館をホームページ上での運営に切り換える。 2005年 芸術世紀フェスティバル2005に「ねずみ」を出品、優秀賞を受賞する。 |
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