竹久夢二『時雨るるや』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||
| ▲戻る トップページ > オフセットによる複製 > 竹久夢二 | ||||||||||||||||||||
|
竹久夢二『時雨るるや』 |
|
|
『時雨るゝや眉引きなほす大徳寺』
季題となっている「時雨」は、初冬の頃、今まで日が照っていたのが、急に曇りはじめたかと思うと、ぱらぱらと振り出す雨のことです。 これがしばらくすると降り止んで再び日がさし始め、今度は遥か向こうの方が雲におおわれて、けぶったように見えます。 時雨がその方向へ移っていたので、これを「時雨移り」と言いますが、こうした変わりやすい気象現象が、人々の無常感と結びついて、文学の世界での「時雨」には、わびしい感慨が託されることもあるようです。 淡い色使いで青、赤、緑の蔦の葉が描かれている黒地の帯は、画面全体に安定感をもたせています。 (※作品解説書『夢二の世界』より抜粋) ◆竹久 夢二(Yumeji Takehisa)◆ 1884 9月16日、岡山県邑久郡本庄村に生まれる。本名、茂次郎。 1899 神戸中学に入学。12月、同校中退。 1900 福岡県遠賀郡八幡村大字枝光に転籍。 1901 上京。 1902 早稲田実業学校に入学。 1905 「直言」にコマ絵掲載される。 「中学世界」に“筒井筒”が第一賞入選し、投書家時代を終える。 1909 最初の著作「夢二画集・春の巻」発行。 ベストセラーとなり、夢二の抒情画は天下にひろまる。 1912 京都府立図書館において第1回夢二作品展覧会開催。 1918 京都府立図書館において第2回竹久夢二抒情画展覧会。 1931 アメリカ・ヨーロッパへ旅立つ(昭和8年帰国)。 1934 9月1日富士見高原療養所で50歳の生涯を閉じ、有島生馬氏らにより雑司ケ谷墓地に埋葬される。 竹久夢二は、明治末から昭和初期にかけて活躍、一世を風靡した詩画人です。 大正の歌麿とも言われているように、その作品には市井のくらしに根付いた喜びや悲しみが表わされ、 一世紀に近い時を経た今も人々の心を魅了します。美人画はもちろん、 子供画や晩年は日本の山河を多く主題としました。 また、木版画の制作、楽譜や表紙装幀にも携わり、浴衣・半襟・手拭いなど日々の生活に用いるものの デザインにも情熱を注ぎ、日本のグラフィックデザイナーの先駆者として多くの素晴らしい作品を残しました。 |
| [ HeRO Skin Ver 0.12 ] |
