東洲斎写楽『川つら法眼と鬼の佐渡坊』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||||||
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東洲斎写楽『川つら法眼と鬼の佐渡坊』 |
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28・二世沢村淀五郎の川つら法眼と坂東善次の鬼佐渡坊
この絵は、寛政六年五月、河原崎座の切狂言として上演された「義経千本桜」の内川連館の場に登場する二人を描いたもので、写楽の第一期の半身二人立図の内の一つである。右の淀五郎の川連法眼は、吉野山にのがれた源義経をかくまっている役、一方左の鬼佐渡坊は、その義経を狙う悪僧横川覚範の手下の悪坊主である。 つまり善悪二人の対照をここに描いているわけであるが、他の二人立でいろいろの対照を見せているように、この絵でも、淀五郎の口が開いているのに対して善次のは結ばれているとか、淀五郎は指を握っているのに対し、善次はパッと開いている、淀五郎の長髪に対し善次の坊主頭などの対照を見せて、画面に変化を与えている。二人の役者の顔面描写は写楽独特の迫力があり、一人一枚の絵で見たいくらいである。 この場に登場する役としては、静御前、佐藤忠信、横川覚範があり、普通ならば川連法眼にこれらの人物を配すのが普通であろうが、写楽は他の図でもそうであるように、そうした常套にとらわれずに作画している。というのは、淀五郎、善次のマスクに自己の芸術を発揮する意欲を感じたことによると思われる。そこに写楽と地の絵師とのちがいがある。 二世沢村淀五郎は、当時実悪方で「上上白吉」の位置にあり、坂東善次については第20図の解説にも記したが上級の役者ではなかった。 ◆東洲斎 写楽(Sharaku Toshusai)◆ 1794年にデビューし、およそ10ヶ月間に約140点の錦絵を描いて、忽然と姿を消した江戸時代の浮世絵師。 『江戸名所図会』などで知られる斎藤月岑が、写楽の本名は阿波の能役者、斎藤十郎兵衛であると、 書き残しているが、十郎兵衛の実在が確認出来なかったことから、誰か有名な絵師の変名ではないかと いうことで、「写楽別人説」が唱えられた。 写楽の作品は、殆どが役者絵である。描かれた役者と役柄から上演時期が判明しており、 役者絵の発表時期は4期に分けられる。なお、すべて蔦屋重三郎の店から出版されている。 第一期が1794年5月(28枚)、第二期が1794年7月・8月、第三期が1794年11月・閏11月、第四期が1795年1月に 当たる。写楽の代表作とされるものは第一期の作品で、後になるほど生彩を欠いてしまう。 このほかに相撲絵なども残している。 画風はきわめて個性的で、勝川春草により始められた個性描写をさらに発展させ、鋭い観察眼をもって 俳優の表情や手の動きなどをとらえてそれを造形的に強調し、みる者に強く印象付ける。 しかし、当時は、その醜悪な程の迫真的な作風が俳優や観客の不評をかい、絵師としての生命を縮めた。 大正時代に、ドイツの美術研究家クルトが、写楽はレンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と激賞し、 日本でも再評価されるようになった。 |
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