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東洲斎写楽『亀屋忠兵衛と中山富三郎の梅川』

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画像2   
技法(種別)  
木版画 
額装サイズ
44×37cm
絵サイズ
30×20cm
新品 額付
 
店頭価格 15,750円(税込)
販売価格 8,400円(税込)

[作品のお問い合わせ]
24・三世市川高麗蔵の亀屋忠兵衛と中山富三郎の槌屋梅川
 この絵は、写楽第二期の作品であり、第二期作品中全身二人立図七枚の内、これだけが白雲母背色でなく、黒雲母摺作品である。寛政六年八月の桐座の二番目狂言、梅川忠兵衛の芝居「四方錦故郷旅路」の大詰道行浄瑠璃の「月眉恋最中」の場を描いた作である。この図は実に歌舞伎味が豊かに表現されている絵で、歌舞伎の色彩、型、音楽、そして技芸、そうしたものの全ての情緒的な美しさがこの絵に盛られている。
「二十日あまりに五十両つかい果して二分残る」の死出の道行きである。せめて一目親に逢ってと、忠兵衛の親里・新ロ村へ落ちていく二人の心根は、舞台上の詩情であり、またこの絵に漲る詩情でもある。対の小袖、相合傘の二人連れは、歌舞伎の基調色である背色の黒雲母から浮び上って、画面はひろい舞台面となって、われわれを陶酔の境へと導いていく。
まことに舞台美を再現している役者絵の極致ともいうべきである。音楽的な描線の暢達、衣裳と顔面、手足との配色美、勿論これらが適切にこの絵を美しいものにしている。
 三世市川高麗蔵については、第21図の解説に記してある
 中山富三郎は、寛政から文政へかけてのすぐれた女方で、上方から下って四世松本幸四郎の門弟となり、女の情のこまやかさを表現すること無類といわれ、「ぐにゃ富」の緯名があった。文政六年九月、六十歳で没した。なおこの人は、三世高麗蔵の妹婿である。

◆東洲斎 写楽(Sharaku Toshusai)◆
 1794年にデビューし、およそ10ヶ月間に約140点の錦絵を描いて、忽然と姿を消した江戸時代の浮世絵師。
 『江戸名所図会』などで知られる斎藤月岑が、写楽の本名は阿波の能役者、斎藤十郎兵衛であると、
書き残しているが、十郎兵衛の実在が確認出来なかったことから、誰か有名な絵師の変名ではないかと
いうことで、「写楽別人説」が唱えられた。

 写楽の作品は、殆どが役者絵である。描かれた役者と役柄から上演時期が判明しており、
役者絵の発表時期は4期に分けられる。なお、すべて蔦屋重三郎の店から出版されている。
第一期が1794年5月(28枚)、第二期が1794年7月・8月、第三期が1794年11月・閏11月、第四期が1795年1月に
当たる。写楽の代表作とされるものは第一期の作品で、後になるほど生彩を欠いてしまう。
このほかに相撲絵なども残している。

 画風はきわめて個性的で、勝川春草により始められた個性描写をさらに発展させ、鋭い観察眼をもって
俳優の表情や手の動きなどをとらえてそれを造形的に強調し、みる者に強く印象付ける。
しかし、当時は、その醜悪な程の迫真的な作風が俳優や観客の不評をかい、絵師としての生命を縮めた。
 大正時代に、ドイツの美術研究家クルトが、写楽はレンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と激賞し、
日本でも再評価されるようになった。






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