東洲斎写楽『石井源蔵』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||||||
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東洲斎写楽『石井源蔵』 |
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17・二世坂東三津五郎の石井源蔵
この絵は、寛政六年五月都座の「花菖蒲文禄曽我」に登場する親の敵を討つ石井三兄弟の長男で、敵藤川l水右衛門(第25図)のために、返り討ちにあう石井源蔵を描いた作である。この作品は、写楽の半身像中では珍らしく上体の部分に動きがある。それには風になびいているような鬢髪のそよぎが効果を与えている。またこの毛彫りがすばらしい。 この鬢髪が、源蔵のいまにも敵水右衛門に飛びかかろうとする上体の構えを助け、口を結び、敵を前方ににらむ瞳みの真剣な力強さが、さらに敵に対し凝結した執念を表現している。斜に構えた刀が、画面を斜に横切る構図もすぐれている。これによって、この絵が統一され、一つのリズミカルな躍動が感じられる。白綸子の下着に対する黒の着物とその裳の褐色が、僅かな部分ではあるが、画面をひき立てて効果を上げている。 二世坂東三津五郎は、安永三年江戸に下った役者で、同五年二世を継ぎ、初代の実子が長ずるに及んで、寛政十一年その名を実子へかえし、白分は二世荻野伊三郎となった。文政十二年八十歳で没した。 ◆東洲斎 写楽(Sharaku Toshusai)◆ 1794年にデビューし、およそ10ヶ月間に約140点の錦絵を描いて、忽然と姿を消した江戸時代の浮世絵師。 『江戸名所図会』などで知られる斎藤月岑が、写楽の本名は阿波の能役者、斎藤十郎兵衛であると、 書き残しているが、十郎兵衛の実在が確認出来なかったことから、誰か有名な絵師の変名ではないかと いうことで、「写楽別人説」が唱えられた。 写楽の作品は、殆どが役者絵である。描かれた役者と役柄から上演時期が判明しており、 役者絵の発表時期は4期に分けられる。なお、すべて蔦屋重三郎の店から出版されている。 第一期が1794年5月(28枚)、第二期が1794年7月・8月、第三期が1794年11月・閏11月、第四期が1795年1月に 当たる。写楽の代表作とされるものは第一期の作品で、後になるほど生彩を欠いてしまう。 このほかに相撲絵なども残している。 画風はきわめて個性的で、勝川春草により始められた個性描写をさらに発展させ、鋭い観察眼をもって 俳優の表情や手の動きなどをとらえてそれを造形的に強調し、みる者に強く印象付ける。 しかし、当時は、その醜悪な程の迫真的な作風が俳優や観客の不評をかい、絵師としての生命を縮めた。 大正時代に、ドイツの美術研究家クルトが、写楽はレンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と激賞し、 日本でも再評価されるようになった。 |
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