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東洲斎写楽『竹村定之進』

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画像2   
技法(種別)  
木版画 
額装サイズ
44×37cm
絵サイズ
30×20cm
新品 額付 用紙:越前生漉奉書・手摺り 復刻版
 
店頭価格 15,750円(税込)
販売価格 8,400円(税込)

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15・市川鰕蔵の竹村定之進
 この絵は写楽の代表的傑作である。寛政六年五月の河原崎座上演の「恋女房染分手綱」に登場する役で、この役は乳人重の井(第12図)の父であるが、重の井と伊達の与作(第27図)との不義のため主君から暇を賜わり、お能師であった彼はそのお別れに「道成寺」の鐘入の奥義を伝授することになり、妻桜木に舞わせ、自分は鐘の中で切腹して死ぬ役である。
つまりこの芝居の発端となるべき場面に登場する。しかしこの役は、つねに大立者が演じ、この切腹の場はいつも評判になった場面である(現在はこの場は上演されることがなく、後の「重の井の子別れの場」の方が上演されている)。
 ここに描かれた鰕蔵の顔は、いかにも印象的であるが、奇怪と見る人もある。しかし奇怪と見る人は写楽の真の芸術を理解しない人といっていい。吊り上がった眉の下の眼は生きている。
引きゆがめられたロ許からは今にも声がもれそうである。顔面の屈線はえぐったように鋭く、物すさまじいまでに、当時役者の王者であった鰕蔵の偉大な芸格、風貌が精一杯にとらえられている。まことに写楽の芸術の大きさ、高かさを感ぜしめる。被写物の真をとらえないではいられない写楽の芸術の究極の意慾がここに結晶された思いがする。
 市川蝦蔵は、五代目市川団十郎が、寛政三年に改名した名である。四代目団十郎の実子で、三世松本幸四郎から明和七年十一月に五世を襲った。ある評判記に「この上はよき薬を以て、もちっと太りを付けたいもの」とあるが、その評語にあてはまる風貌を写楽は如実に描ききっている。天明、寛政時代の江戸歌舞伎界の大御所であり、その芸風は、大場にして、唯一筋に狂言の道を立てることを主としたという。
文章にも長じ、反古庵といって俳旬を、花道のつらねと称して狂歌を能くした。寛政八年には向島に隠退して成田屋七左衛門と改名したが、その後四回、求められて舞台に立った。そして文化三年十月、六十六歳で没した。

◆東洲斎 写楽(Sharaku Toshusai)◆
 1794年にデビューし、およそ10ヶ月間に約140点の錦絵を描いて、忽然と姿を消した江戸時代の浮世絵師。
 『江戸名所図会』などで知られる斎藤月岑が、写楽の本名は阿波の能役者、斎藤十郎兵衛であると、
書き残しているが、十郎兵衛の実在が確認出来なかったことから、誰か有名な絵師の変名ではないかと
いうことで、「写楽別人説」が唱えられた。

 写楽の作品は、殆どが役者絵である。描かれた役者と役柄から上演時期が判明しており、
役者絵の発表時期は4期に分けられる。なお、すべて蔦屋重三郎の店から出版されている。
第一期が1794年5月(28枚)、第二期が1794年7月・8月、第三期が1794年11月・閏11月、第四期が1795年1月に
当たる。写楽の代表作とされるものは第一期の作品で、後になるほど生彩を欠いてしまう。
このほかに相撲絵なども残している。

 画風はきわめて個性的で、勝川春草により始められた個性描写をさらに発展させ、鋭い観察眼をもって
俳優の表情や手の動きなどをとらえてそれを造形的に強調し、みる者に強く印象付ける。
しかし、当時は、その醜悪な程の迫真的な作風が俳優や観客の不評をかい、絵師としての生命を縮めた。
 大正時代に、ドイツの美術研究家クルトが、写楽はレンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と激賞し、
日本でも再評価されるようになった。





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