東洲斎写楽『大岸蔵人』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||||||
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東洲斎写楽『大岸蔵人』 |
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7・三世沢村宗十郎の大岸蔵人
この役は、寛政六年五月都座上演の「花菖蒲文録曽我」に登場する美人の役柄である。 この絵は一見平凡であるが佳作の一つである。その理由は、写楽がただ役者の姿を写すというのではなく、その役者の芸質、芸格、人間としての性格、そしてその役の性根までを描いたことに写楽の芸術の特色があり、それは他の絵師のなし得なかったところであった。 その写楽の芸術の本質が、この一枚の絵に発揮されている。それにこの絵が佳作となった所以があるのである。ただ見ただけでは、開いた扇をもつている侍の半身像である。色彩も実に単純で、着物の濃紫と扇の金、そして背色の黒雲母だけといった僅か三色が主なる色彩である。それでいて、ここに浮び上がっている宗十郎の顔は、「人品男振よく」と評された宗十郎の風貌をそのままに表現されている。 また向って左の眉の下から顎へかけての顔面の輪郭の曲線の緊張味と、量感のある顔面のもり上りには驚くべきものがある。宗十郎を評した言葉に、「温和の内に底に烈しき所あり」とあるが、つぶらな瞳、ひきしまった口元に、その評語のあやまりでない役者宗十郎の描写を見ることが出来る。 その悠揚とした一見平凡な肖像に活を与えているのが、胸もとにひろげられた、大きな金扇で、ここにも写楽の色彩感の鋭さが見える。 三世沢村宗十郎は、二世宗十郎の次男で、写楽も描いている三世市川八百蔵の弟である。当時立役の随一といわれた名優で享和元年三月、四十九歳で没した。 ◆東洲斎 写楽(Sharaku Toshusai)◆ 1794年にデビューし、およそ10ヶ月間に約140点の錦絵を描いて、忽然と姿を消した江戸時代の浮世絵師。 『江戸名所図会』などで知られる斎藤月岑が、写楽の本名は阿波の能役者、斎藤十郎兵衛であると、 書き残しているが、十郎兵衛の実在が確認出来なかったことから、誰か有名な絵師の変名ではないかと いうことで、「写楽別人説」が唱えられた。 写楽の作品は、殆どが役者絵である。描かれた役者と役柄から上演時期が判明しており、 役者絵の発表時期は4期に分けられる。なお、すべて蔦屋重三郎の店から出版されている。 第一期が1794年5月(28枚)、第二期が1794年7月・8月、第三期が1794年11月・閏11月、第四期が1795年1月に 当たる。写楽の代表作とされるものは第一期の作品で、後になるほど生彩を欠いてしまう。 このほかに相撲絵なども残している。 画風はきわめて個性的で、勝川春草により始められた個性描写をさらに発展させ、鋭い観察眼をもって 俳優の表情や手の動きなどをとらえてそれを造形的に強調し、みる者に強く印象付ける。 しかし、当時は、その醜悪な程の迫真的な作風が俳優や観客の不評をかい、絵師としての生命を縮めた。 大正時代に、ドイツの美術研究家クルトが、写楽はレンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と激賞し、 日本でも再評価されるようになった。 |
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