毛利元就『教訓状(元就様御書)』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||||||
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毛利元就『教訓状(元就様御書)』 |
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発行:(株)ぎょうせい
昭和58年9月28日製作 ■毛利元就(もりもとなり)■ 1497〜1571 弘元の次男として安芸吉田荘(広島県高田郡吉田町)に生れる。 母は祥の方。正室は美伊の方。子には隆元・元春・隆景・五龍ほかがいる。 大永三年(1523)、兄興元とその子幸松丸の死に伴い、毛利宗家を継ぐ。 はじめ尼子氏、ついで大内義隆に仕える。 天文十年(1541)、尼子晴久を破る。 天文二十年、義隆は重臣陶晴賢に離反され追手に囲まれ自害。 元就は弘治元年(1555)、厳島合戦で晴賢を敗死させ、主君の仇を討った。 同三年、大内義長を滅ぼし、安芸・長門・周防を領国とする。 永禄九年(1566)、尼子氏を降し、山陽・山陰十国と豊前・伊予の一部にまで領土を拡げた。 巧みな外交と謀略を駆使して安芸の小領主から中国の覇者となり、さらに九州にも進出し、豊後・大友氏とも度々争った。 和歌を能くし、『元就卿詠草』『贈従三位元就卿御詠草』『春霞集』(いずれも祖本は同一)と呼ばれる詠草がある。 ◎教訓状◎ 毛利元就の「三矢の教え」は著名な逸話としてよく知られていますが、この教訓状はそのもとになったもので、弘治3年(1557)に長男隆元、次男吉川元春、三男小早川隆景にあてた楮紙六枚継におよぶ長文の元就自筆の手紙です。この作品は教訓状はもとより、それに応えた三子の奉答文を加えた巻子復刻版となります。 |
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