横山大観『神州第一峰・左隻』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||
| ▲戻る トップページ > 彩美版・シルクスクリーン > 横山大観 | ||||||||||||||||||||
|
横山大観『神州第一峰・左隻』 |
|
|
昭和二年、大観は、中国の宋元水墨画と大和絵(特に琳派)を融合して、
民族的新境地を開拓するのがこれからの使命といっているが、東京美術学校の洋風教育に反発、 また時局柄もあり、精神主義を打ち出す。 「有形の物象を借りて無形の霊性を象徴する」というのがそれで、俄然富士山がアピールされる。 それも伊豆の達磨山から見た富士が、宝永山が隠れて理想的形とされ、大観富士の原型となる。 それは同時に国体の象徴であり、まつわる雲は暗雲低迷の時局を暗示し、旭日は悠久の未来を意味した。 そして右に連なるのは箱根連山の現実世界を意味した。空は金泥に耀き、いま新しい朝が明けたのである。 *美術評論家 細野正信(付属解説書より抜粋) ◆横山大観(Taikan Yokoyama)◆ 1868 水戸藩士酒井捨彦の長男として生まれる。 1885 東京英語学校に入学、その傍ら、渡辺文三郎に鉛筆画を学ぶ。 1893 東京美術学校卒業。 1896 京都市立美術工芸学校予備科教諭を退職。東京美術学校助教授となる。 1901 菱田春草と、九州・北陸各地へ写生旅行。 1904 春草らと共に渡米。ニューヨーク、ボストンで作品展開催。 1905 春草らと共に渡欧。ロンドン、ベルリン、パリで作品展を開く。 帰国後、春草と連名で『絵画に就いて』発表。 1907 文展審査委員。国画玉成会評議員となる。 1913 日本美術院を再興する。 1924 下村観山、竹内栖鳳、川合玉堂らと淡交会を結成。 1930 イタリアに美術使節として出発。 1935 帝国美術院会員となる。 1937 文化勲章を受章。 1940 紀元2600年奉祝記念展に『山に因む十題・海に因む十題』を出品。 1957 作品『不二』絶筆となる。 1958 逝去、享年89歳。(数え年、91歳) (※)彩美版(R)とは、画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原画の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております 「彩美版(R)」は共同印刷株式会社の登録商標です。 |
| [ HeRO Skin Ver 0.12 ] |
