狩野芳崖『雪山暮渡図』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||||||
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狩野芳崖
作
『雪山暮渡図』
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商品解説・作家略歴 |
【作品解説・掛軸】 神秘的で美しい風景が郷愁の世界を誘う雪山の画です。 年中掛けや贈答用としてご使用していただけます。 【作者略歴】 ◆狩野芳崖(かのう・ほうがい)◆ 1828年から1888年 文政11年(1828年)1月、長府藩の御用絵師狩野晴皐(かのせいこう)の子として長府町の印内に生まれる。 幼名を幸太郎(こうたろう)、号を貫甫(かんぽ)、皐隣(こうりん)、翠庵(すいあん)などと言った。 幼少から絵の天分を発揮し、19歳のときに江戸にのぼり、木挽町狩野家勝川院雅信について10年間絵の修行をした。 多くの門弟たちの中でも彼の技術は群をぬき、橋本雅邦とならんで雅信門下の双璧とされた。 幕末の動乱期には、故郷の長府に帰って画業についたが、一時は描くことを中止し、武具の制作に従事したこともあった。 明治になり、藩からの扶持が断たれた芳崖は、画業のかたわら養蚕や測量図の仕上げなどをして生活を支えたが、貧苦はつのるばかりだった。 明治10年、50歳のとき藤島常興を頼って上京したが、健康を害し苦しい闘病生活となった。 明治12年、橋本雅邦の紹介で、「犬追物図」制作のため島津家に雇われやっと生活の安定を見、さらに明治17年(1884)五十七歳の時、アメリカ人のフェノロサに見いだされ、ようやくその労苦が報われる。 その後、芳崖は美術界の新人養成機関が必要であることを時の首相伊藤博文に説き、美術学校(現在の芸大)の創設に努力した。 明治21年(1888)11月美術学校開校を目前にし没す。 享年61歳。墓は東京谷中の長安寺。 代表作に「悲母観音図」「仁王捉鬼図」「八臂弁財天図」等。 【掛け軸寸法・体裁】 ■寸法 縦171cm×横66cm (尺八アンドン) ■絵寸法 縦100cm×横47cm ■表装 丸表装 ■本紙 絹本 ■箱 桐箱収納 ■コロタイプ作品 |
| [ HeRO Skin Ver 0.12 ] |
