折口信夫(釈迢空)『歌碑』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||||||
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折口信夫(釈迢空)
作
『歌碑』
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商品解説・作家略歴 |
■折口信夫(おりくち しのぶ)■ 日本の民俗学、国文学、国学の研究者。釈迢空(しゃく ちょうくう)と号して詩歌もよくした。 折口信夫は、明治20年(1887年)大阪府西成郡木津村(現大阪市浪速区敷津西一丁目)に生まれ、昭和28年(1953年)9月3日死去した。 木津尋常小学校(現敷津小学校)、育英高等小学校(昭和12年廃校)、天王寺中学校(現天王寺高等学校)を経て、国学院大学にすすんだ。 小学校時代から古典をはじめ広く文学に親しみ、中学校時代には、校友会誌「桃陰」に「都賀野の牡鹿」を発表するなど、早くから鬼才を発揮した。 明治43年大学卒業後、今宮中学校(現今宮高等学校)に勤め、この間、柳田国男主宰の「郷土研究」に「三郷巷談」を発表し、以後、知遇を得た。 大正10年、国学院大学教授となり、また、同12年には慶應義塾大学の講師(昭和3年教授となる)を兼任し、死去するまで両大学の教授を勤めた。 その間、昭和7年「万葉集に関する研究」で文学博士の学位を取得するなど、「折口学」と呼ばれる民俗学を基盤とした独自の学風を国文学の世界に展開し、日本民俗学の創成に不滅の貢献をなした。 一方、釈迢空の筆名で、歌詠に古語を駆使して日本語の美しさを訴え、「海やまのあいだ」「春のことぶれ」「倭をぐな」などの歌集を出版。また、詩集には「古代感愛集」「近代悲傷集」などがあり、小説には「折口学」の集大成といわれる「死者の書」がある。 墓所は、石川県羽咋市一ノ宮の地にある。大阪市浪速区大国三丁目の願泉寺には、分骨埋葬されている。 |
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