高橋泥舟『真蹟拓本』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||||||
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高橋泥舟
作
『真蹟拓本』
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商品解説・作家略歴 |
■高橋泥舟(たかはし・でいしゅう)■ 1835〜1903 槍術家・書家。山岡鉄舟・勝海舟と共に幕末三舟と呼ばれる。山岡鉄舟の義兄。 江戸において、旗本山岡正業の次男として生まれる。名、政晃。幼名、謙三郎。字、寛猛。通称、精一。号、忍歳、泥舟。妹・英子は山岡鉄舟の妻。母方の高橋包承の養子となる生家の山岡家は槍の自得院流(忍心流)の名家で、長兄高橋静山に就いて槍を修行、神業と謳われるほどの評判を得るまでになる。安政3年、22歳で講武所槍術教授。万延元年、同槍術師範となり、文久3年、上洛中の将軍家茂から浪士取扱を親諭され、勅許を奉じて従五位下に叙せられ、伊勢守を称する。慶応2年新設の遊撃隊の頭取。鳥羽伏見の敗戦後、帰東、謹慎する慶喜を警護にあたる。勝海舟が西郷隆盛との会談に際し、使者として泥舟を選ぶが、主君慶喜の身を案じ、それを辞退し、義弟山岡鉄舟の駿府派遣を提案した。廃藩置県後は、徳川家が静岡に移住するのに従い、地方奉行など勤め、東京に隠棲して書を楽しむなどの余世を送った。 明治36年2月13日、牛込矢来町の自宅で没す。享年69才。墓は東京都台東区谷中六の大雄寺。 ◎真蹟(一張得絃琴)◎ 一張得絃琴 弾者少古今 経之不聞衰 山高兮水深 ねじ上げる槍の切先を髣髴とさせる、気魄溢れる筆跡です。泥舟の残した数少ない行書の一つです。 |
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