久坂玄瑞『七郷都落之歌』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||
| ▲戻る 掛け軸のホームページ > 拓本 > 七郷都落之歌 > 久坂玄瑞 | ||||||||||||||||||||
|
久坂玄瑞
作
『七郷都落之歌』
|
|
|
|
商品解説・作家略歴 |
■久坂玄瑞(くさか げんずい)■ 天保11年(1840)〜元治元年(1864)7月19日 長門国萩平安古八軒屋に藩医久坂良迪の次男として生まれる。 嘉永6年明倫館に入り、医学所で蘭学を学ぶ。 安政元年父、兄玄機死去により家督を継ぐ。 安政3年5月17歳で九州に遊学に出る。 安政4年6月松下村塾に入学。12月松陰の妹、文と結婚。 安政5年2月江戸に遊学する。 翌年2月帰藩し、藩の洋学所で官費生となる。 万延元年4月江戸の幕府蕃書調所にて、英学を学ぶ。文久元年和宮の降嫁を阻止しようとするが失敗する。 文久2年1月雅楽の「航海遠略策」に反対、脱藩する。10月藩の勅使として攘夷を催促しに江戸に赴く。11月晋作らと攘夷血盟書を交わす。晋作らと品川御殿山の英国大使館を焼き討ちする。 文久3年5月下関で明光寺党を結成する。下関馬関で外国艦隊への砲撃に加わる。8月朝議が一変し京都に潜伏。関白司卿に対して萩藩主の罷免の許しを請う。9月政務役に任じられ、京都在住となる。元治元年3月 藩の入京実力行使論派を押さえようとする。6月藩論が進発論へ決まると、藩兵を率いて上京、入京の拒否をされる。 自重論を唱え、進発論を押さえようとするが失敗。7月蛤御門の変(禁門の変)が起こり、会津・薩摩諸藩兵と堺町御門で戦い、流れ弾を受けて負傷。鷹司邸内で寺島忠三郎と共に自刃。 年25没 |
| [ HeRO Skin Ver 0.12 ] |
