武田信玄『訓言碑拓本』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||||||
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武田信玄
作
『訓言碑拓本』
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商品解説・作家略歴 |
■武田信玄(たけだ・しんげん)■ 1521年 信虎嫡男・太郎(晴信、のちの信玄)積翠寺で誕生 1536年 晴信、三条公頼の娘と結婚 1541年 晴信、家督を継ぎ、甲斐国主となる 1546年 晴信、勅使三条西実澄らを積翠寺に招き、和漢連句の会を開催 1547年 甲州法度之次第(信玄家法)制定される 1548年 信州上田原で村上義清と合戦 甲府城下町が過密となり、農民の田畑・屋敷の拡張・新築が制限される 1551年 晴信、京仏師康清を招き、自らを模刻した武田不動尊を造る 1553年 第1回川中島の戦い 1554年 武田・今川・北条の三国同盟固まる 1555年 第2回川中島の戦い 1557年 第3回川中島の戦い 1558年 信州善光寺の本尊を甲府に移し、甲斐善光寺の伽藍造営に着手 1559年 晴信、信玄と名乗る 1560年 釜無川に信玄堤が完成し、盆地底部の開発が進む 1561年 第4回川中島の戦い 1568年 信玄、駿府城攻略 1572年 信玄、西上の軍を起こし、三方ヶ原で徳川勢を撃破 1573年 信玄、信州伊那の駒場で病没 ◎訓言碑◎ 戦国の乱世、群雄割拠する中で智謀の将と謳われた甲斐(山梨県)の武田信玄が遺した代表的な戦陣訓です。 山梨県恵林寺境内に在る 「武田信玄公訓言」を拓本化したものでございます。 「およそ軍勝五分を以って上と為し、七分を中となし、十分を以って下と為す。 その故は、五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分は驕りをするが故。 たとえ戦に十分の勝を得るとも、驕りを生ずれば次には必ず敗るるものなり。 すべて戦に限らず世の中のことこの心がけ肝要なり。」 (甲斐恵林寺:三光書) ※恵林寺は1330年夢窓国師によって開かれ、戦国武将・武田信玄が 菩提寺と定めた臨済宗妙心寺派の古刹です。 夢窓国師は伊勢の生まれで、甲斐へ移り住み9歳で出家。当時の領主、二階堂道蘊に請われ邸宅を禅院に改めたのが恵林寺の始まりで、国師55歳の頃でした。 |
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