与謝蕪村『梅鴉図二』を特別価格で販売致します【アート静美洞】 | ||||||||||||||||||||
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与謝蕪村
作
『梅鴉図二』
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商品解説・作家略歴 |
■与謝蕪村(よさぶそん)■ 1716年から1783年 松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨匠の一人。 わが国南画の完成者の一人。 摂津国東成郡毛馬村(ひがしなりごおり けまむら)(大阪市都島区毛馬町)に生まれる。 20歳の頃江戸に下り早野巴人(はやのはじん)に師事し俳諧を学ぶ。日本橋石町「時の鐘」辺の師の寓居に住まいした。このときは宰鳥と号していた。 寛保2年(1742年)27歳の時、師が没したあと下総国結城(茨城県結城市)の砂岡雁宕(いさおか がんとう)のもとに寄寓し、松尾芭蕉に憧れてその足跡を辿り東北地方を周遊した。その際の手記を寛保4年(1744年)に雁宕の娘婿で下野国宇都宮(栃木県宇都宮市)の佐藤露鳩(さとう ろきゅう)宅に居寓した際に編集した『歳旦帳(宇都宮歳旦帳)』で初めて蕪村を号した。 45歳頃に結婚し一人娘くのを儲けた。島原(嶋原)角屋で句を教えるなど、以後、京都で生涯を過ごした。明和7年(1770年)には夜半亭二世に推戴されている。 京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で、天明3年12月25日(1784年1月17日)未明68歳の生涯を閉じた。辞世の句は「しら梅に明(あく)る夜ばかりとなりにけり」。墓所は京都市左京区一乗寺の金福寺(こんぷくじ)。 ◎梅鴉図二◎ 蕪村の作品は、南画と俳諧の雰囲気を合致させて雅味豊かであり、その描写には鋭い観察眼がうかがわれる。 安永5年の作とされるこの作品でも、持ち前の鋭く素早い描写力を見せ、雄渾な筆法は非常に力強く、最も蕪村らしい力量を発揮した傑作の一つ。 |
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