| 作品一覧 |
| 作品 | 解説 |
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1・駕舁鶯の治郎作
寛政六年五月の桐座の「敵討乗合話」の内に上演された所作事「花菖蒲思笄」に登場する役である。この絵で舞踊でよく見られる思いきった身体の動きからキマった時の姿があざやかに描かれている。
所作事であるから衣裳も派手で、描線もなめらかである。この派手な衣裳が画面の大部分を占めているのも所作事図としての効果を出している。勘弥の顔が比較的小さく描かれているのも写楽の非凡な技巧といえよう。
その上背色の黒雲母がまた有効に画面に調和を与えている。着物の藍地に貝絞りの柄、袖無しは鼠で模様があばれ熨斗の白抜き、そして頭巾は黄。この配色も他の写楽の絵としては珍らしく複雑であるが、さらに襟元と袖口に見える下着の紅が、これらと交錯して、しかも一分のすきもない。
つまりこれ以上の色も、これ以下の色も考えられないということである。さらに勘弥のえぐられたような頬の線と眼と口許が印象的で迫るものが感じられるのは、まさに写楽の絵の特徴である。
森田勘弥は、江戸三座、中村、市村、森田の森田座の座元として伝統の家柄である。
この勘弥は八代目で、宝暦九年に生れ、五代目勘弥の息子である。宝暦十二年から舞台に立ち、所作事に長じていて名をあげた。勘弥の名は天明三年に坂東又次郎から八代目となった。座元と役者を兼ねた。
森田座は寛政元年に休座し河原崎座となったので、この時は都座に出場していたのである。享和元年に子の又吉に座元を譲って坂東八十助と改め、文化十一年二月に没した。
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2・田辺文蔵の妻おしづ
この絵は寛政六年五月、都座の「花菖蒲文禄曽我」に出場する三世瀬川菊之丞の田辺文蔵の妻おしづの役であるが、田辺文蔵は石井兄弟の仇討を助け暮しの困窮にたえる役であるが、その妻おしづも夫とともに苦難に沈む役で、病身であるために鉢巻をしている。
この絵は写楽の女方を描いた図の内では一、二を争う名作といえる。それは役柄の寂しさの出ていることもさりながら、三世菊之丞の女方としての芸質をあますところなく描いているからである。ふっくらとした顔面、悠揚とした芸質がにじみ出ている姿態描写はただただ感銘の深かさを感ずる。ことに、この絵で驚くべき配色美を見せている。
それは写楽が最も好む色彩と思われる、紅と草の二色の下着である。それは僅かな部分でありながら全体の色彩をひきしめて、しかも女方としての派手さもうかがわしている技巧を示している。まことに写楽の独特な感覚の豊かさを見せた作品である。
三世瀬川菊之丞は、天明、寛政時代の名女方で、女方で座頭にもなった。二世菊之丞の養子で、大阪の振付師市山七十郎の二男として生れた。
初名は市山富三郎、二世の養子となってから瀬川富三郎と改め、安永三年十一月に三代目をついだ。年毎に名声をあげ、江戸随一の女方となった。浜村屋大明神さまともいわれた。享和元年に俳名の路考を芸名とし、文化四年に仙女と改名、文化七年十二月、六十歳で没した。
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3・奴袖助
寛政六年五月都座の「花菖蒲文禄曽我」に出る仇討をする方の奴の袖助を描いた作で、大谷徳次は当時の道化役の一人者であった。その滑稽味が、下った眉、つぶらな眼に、よく現われている。
写楽が役者、役柄を表現した佳作の一つである。この絵で、写楽は人物を思いきって右へよせ、右側をひろく空間にするという構図法をとって成功している。
つまり落款さえも右下に入れて、顔の前面に余裕をもたせることで、徳次の動く美しさがあり、また顔面描写がさらに生きている。また、この写楽は、彼の独特な構図法でよく用いるのであるが、三つの類似型のつみ重ねを見せている。
即ち顔の輪郭と、右手のコブシの形の大小二つの類似型、これによって左側を固め、これに対して刀の鍔下を握っている左手の同型の類似型を描くことで、絵の均衡と安定がはかられている。
色彩は、渋い着物の色を大部分とし、あとは僅かな部分の濃い黄と朱だけで、その中で刀の鞘の朱の色が全体のきき色となっている。少ない描線、少ない色彩で絵の効果を考えるのは、写楽の絵の特色であるが、その特徴を最もよく知ることの出来る作品といえる。
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4・祇園町の白人おなよと蟹坂藤馬
写楽は、第一期作品中で半身二人立の絵を五図描いているが、これはその内の一図で、やはり「花菖蒲文禄曽我」の狂言に登場する二人である。
写楽はこれら二人立半身図の上で、つねにいくつかの対照をとらえている。この絵にあっては、佐野川市松の痩せた顔と市川富右衛門のふとった顔、市松の上り眉と富右衛門の下り眉、市松のおさ形の眼と富右衛門の丸い眼、といったようにそれぞれの対照によって絵に変化を与え趣きを見せている。
この絵は無雑作に二つの肖像をよせ集めたような感じであるが、前述のいくつかの対比の妙によって巧みに連絡を見せている。市松の白人おなよを一人立で描いた絵は別にある(第18図)が、この絵ではむしろ富右衛門の描写を見るべきである。
この蟹坂藤馬という役は、悪人たちの方の人物であるが、たいした役でなく、富右衛門も上級の役者ではない。
写楽は、自分が写して興味のある役者であったら下級役者であろうとくだらない役であろうと、かまわずにとり上げて絵にしている。これも写楽の特徴であり、被写体に対する貫かれた写楽の主観の高さといえる。
落ちぶれた浪人者らしい藤馬という役柄の面ざしが実に的確に把握され、ヤゾウをきめた右手、袖の中に入れた右手の貧乏らしさ、これが市松の白人(私娼のこと)おなよの派手さと、これも画面の上の対照としての面伯さを見せている。
三世佐野川市松は、当時若女方として上位にあった。初代は石畳模様(俗に元禄模様という)の衣裳を用いて流行になり、市松模様の名を起した役者である。
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5・山谷の肴屋五郎兵衛
寛政六年五月桐座の「敵討乗合話」へ登場した肴屋五郎兵衛である。この役は松下造酒之進の娘、高城野、しのぶの姉妹に助刀をして、親の敵志賀大七を討たせる義きょう魚屋である。
この絵では、黒い幅広いどてらの襟が色彩の基調となっている。その外には袖口の草、煙管の黄と紅がほんの小さい部分に配され、大部分は黒襟に対してどてらの濃紫色の地味な色である。
背色の黒雲母とともに暗い色の間に小さな明るい色の点綴が効果をみせていて、その色彩感は写楽独特なものである。なおどてらの格子縞は、俗に高麗屋格子といわれる。高麗屋は幸四郎の屋号で、幸四郎はこの格子縞を好んで用いていた。
四世松本幸四郎は、天明から寛政時代へかけての名優で、容姿と風釆と音声と辯舌にすぐれ、常に寡黙であるが、口を開けば皮肉であり、人々を笑わすといわれた性格であった。
また生涯を殆ど顔を白塗りの役ばかり演じたといわれる芸質であったが、この性格、芸質を、写楽は十分とらえている。左の袖口へ入れた左手の線や左の肩から煙管をもつ手への線のやわらかさ、眼に紅の隈を入れた派手さなどの表現がそれである。
四世幸四郎は、女方瀬川菊之丞の門から四世団十郎の門に移り、染五郎、高麗屋の名をへて幸四郎となった。享和二年六月、六十六歳で没した。
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6・仲居おつゆ
寛政六年八月、桐座上演の切狂言の「四方錦故郷旅路」に登場する仲居おつゆの役である。芝居は近松物の心中狂言としてよく知られた桜川忠兵衛の狂言で、この役は、新町井筒屋、忠兵衛の封印切りの場に出る役である。この絵は第二期の細判作品中一二を争う佳品である。
幾つかの三角形の集積によって人物の構図を作り上げて写楽独特の立体美を見せている。しかも描線は何んの誇張もなく極く自然な立体像を描き出して、写楽の奥行きのある、厚味のある芸術が示されている。
色彩はベニガラ色の着物と黒襟と黒い帯が背色の黄摺りとよく調和して重厚味が発揮されている。襦袢の襟の前垂の薄藍がまたいい配色の妙を見せている。
松本米三郎は、女方の四世芳沢あやめの子として生れ、のち四世松本幸四郎の門に移り、松本米三郎となった。若女方としてめ人気が高く、中山富三郎、岩井粂三郎と三幅対といわれた。文化二年三月に没した。写楽は第一期の大判半身画でも米三郎を描いている(第26図)。
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7・大岸蔵人
この役は、寛政六年五月都座上演の「花菖蒲文録曽我」に登場する美人の役柄である。
この絵は一見平凡であるが佳作の一つである。その理由は、写楽がただ役者の姿を写すというのではなく、その役者の芸質、芸格、人間としての性格、そしてその役の性根までを描いたことに写楽の芸術の特色があり、それは他の絵師のなし得なかったところであった。
その写楽の芸術の本質が、この一枚の絵に発揮されている。それにこの絵が佳作となった所以があるのである。ただ見ただけでは、開いた扇をもつている侍の半身像である。色彩も実に単純で、着物の濃紫と扇の金、そして背色の黒雲母だけといった僅か三色が主なる色彩である。それでいて、ここに浮び上がっている宗十郎の顔は、「人品男振よく」と評された宗十郎の風貌をそのままに表現されている。
また向って左の眉の下から顎へかけての顔面の輪郭の曲線の緊張味と、量感のある顔面のもり上りには驚くべきものがある。宗十郎を評した言葉に、「温和の内に底に烈しき所あり」とあるが、つぶらな瞳、ひきしまった口元に、その評語のあやまりでない役者宗十郎の描写を見ることが出来る。
その悠揚とした一見平凡な肖像に活を与えているのが、胸もとにひろげられた、大きな金扇で、ここにも写楽の色彩感の鋭さが見える。
三世沢村宗十郎は、二世宗十郎の次男で、写楽も描いている三世市川八百蔵の弟である。当時立役の随一といわれた名優で享和元年三月、四十九歳で没した。
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8・ぼうだら長左衛門と船宿かな川やの権
この絵は写楽の第一期、二人立半身像を描いた五枚の内の最傑作である。狂言は寛政六年五月桐産上演の「敵討乗合話」である。他の半身二人立の絵がそうであるように、これも二人の人物の対比の妙をみせている。
和田右衛門の痩せた顔に対して此蔵の肥り肉、和田右衛門の下り眉に此蔵の上り眉、和田右衛門の丸い眼に此蔵の細い眼、和田右衛門の鷲っ鼻に此蔵の獅子っ鼻、和田右衛門の開いた口に此蔵の結んだ口、実に面白い対照でありその対照の巧みさによってこの絵はいきいきとして、向き合った二人の顔がガッチリと組合って一分のすきもない。
色彩にも対照的なものを見せ、和田右衛門の濃い色彩に対して此蔵は白地の浴衣である。写楽は、むしろこの絵を描くことに自信と興味を感じ、よろこびを感じながら筆をとったのではないかとさえ思われる。
この二人の役者は、ともに当時第三流に属する下級役者である。役も極く端役である。
にもかかわらず、写楽はこの二人をとり上げている。下級役者を錦絵にするようなことは他の絵師ではないことである。ここに写楽の芸術家として他におかされない自信があったしたがってこの絵は写楽の代表作といえるのである。
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9・奴一平
寛政六年五月河原崎座上演の「恋女房染分手網」による奴一平の役で、伊達の与作に味方をする役柄である。この絵は俗に「赤襦袢」と呼ばれている。
この赤襦袢がこの絵を派手にしているし、歌舞伎の立廻りの一瞬の兄得がまた派手にきまった形となっている。この絵では、男女蔵の表情を見るべきである。つまり立廻りの場面の真剣な表情である。
相手を見すえて、一刀を斬りつけようとする瞬間の緊張が顔面にあらわれている。それと同時に寛政元年に元服したという男女蔵の若かさが、口もとにも、顔の輪郭にも、鼻の下からアゴにかけての線にも、はっきりととらえられている表現力にも驚かされる。
そしてさらに、写楽はこの若い男女蔵を愛情をもって描いているように思われる。そこに絵全体に清新な、ほのぼのとしたものが感じられる所以があるのではある。
市川男女蔵は、五世市川団十郎の門人で、若くして名声を得、文化文政時代の名優とうたわれ、文政六年には実悪の「功上々吉」にまでなった。天保四年六月、五十三歳で没した。
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10・帯屋長右衛門と信濃屋お半
この絵は、寛政六年七月河原崎座上演二番目狂言の「桂川月思出」のお半長右衛門道行の場を描いた作である。写楽は第二期作品中、大判全身二人立の作を七枚描いているが、これはその内の一図である。七枚中では最もおだやかな絵である。
というのも、お幸長右衛門の道行という常磐津を伴奏としての振事で、その色気のある雰囲気を写楽は描き出そうとしたためであろう。道行の場合、女役の方に口説きがあって、振りが多く、男役の方はもたれ役といって振りは少ない。この絵でも長右衛門の方はじっと立っている姿、お半の方は振事の一瞬きまった姿である。
したがってこの絵では半四郎のお半の姿が焦点であり、あどけないお半の姿態の表現をする半四郎が、実に巧みに描かれている。この絵を見ていると、伴奏の常磐津の旋律が流れてくるように思われるほど、舞台の情趣が感じられる。当時半四郎は四十八歳、それが十三歳のお半に扮している。その芸の力までを写楽は描き出している点、まことに非凡な表現力といえよう。
四代目岩井半四郎は、四世市川団十郎の門に入り、のち岩井家の養子となって四世となった。この人は丸顔であったので俗にお多福半四郎と呼ばれたが、その面影は写楽によって的確に描破されている。音調はいくらか吃る癖があったという。芸風は花やかで愛嬌があり、写実的であった。
世人は彼を「目黒(そこに別荘があった)の太夫」または「白金の太夫」とも呼び、天明、寛政時代の女方の一流であった。寛政十二年三月、五十四歳で没した。
三世坂東彦三郎は、八世市村羽左衛門の末子で、尾上菊五郎の養子である。和事実事に長じ、所作事も堪能で、その人格も高く「常に野卑なる事を好まず、画をなし茶事を好み」といわれている。その芸格、人格を写楽はやはり完全にとらえている。文化、文政時代に名優といわれた。文政十一年二月、七十五歳で没した。この時彦三郎は四十一歳であった。
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11・金貨石部金吉
この絵は、寛政六年五月都座上演の「花菖蒲文禄曽我」に登場する役で、敵討をする石井兄弟に助力する田辺文蔵(第23図)の貧家に借金のとりたてにくる強慾な金貸の役であるが、その因業さが、その顔面によく描写されている。ま一文字に結ばれた口、アゴの皺、そして両眼のにらみと、袖をまくりあげた左手の構え、まさに迫力のある描写といえる。
顔面、姿態の、この迫真の描写によって、画面の大部分を占めている黄八丈の着物の単調さが、むしろ効果を与えていると思われる。しかも、襦袢の黒襟が、強く画面を引きしめている。写楽の描写力と役柄の把握力が、単的にみられる作品といえる。
嵐竜蔵は、実悪方として、当時は「上上白吉」の位を与えられていた役者で、写楽は、その特異な渋い風貌を好んだらしく、他にもこの役者を描いている(第14図)。この竜蔵は寛政十年に三代目嵐七五郎を襲名しているが、その年の十一月に三十八歳で没したから、顔とちがって年令的には若く、竜蔵この時三十四歳であった。
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12・乳人重の井
この絵は、寛政六年五月河原崎座上演の「恋女房染分手綱」の女主人公乳人重の井を描いた作である。重の井は恋人伊達の与作(第27図)との恋愛が知れ、与作はおいとま、父の竹村定之進(第15図)は切腹、与作との間に出来た一子与之助は自然生の三吉といって馬士になった。
主君の姫調姫が浜松の入間家に養女に行くのに従って重の井は東に下ったが、その途中、馬士自然生の三吉と出逢うが、乳人という役目の手前、母子の名乗りも出来ずに別れる。その場の重の井を描いたのがこの絵である。
この絵は四世岩井半四郎という、当時三世瀬川菊之丞(第2図)とともに女方の双壁と謳われた名優を描いて、写楽の半身像の女方の絵の最傑作といっていい。それは女方半四郎をあますことなく描き切っているからである。
乳人という重の井の役柄がもつ暖かい人情がこの絵には漲っている。また白地に薄紅の蝶扇の模様の着物、紅裏に鶯色の裲襠の配合は清楚ではあるが、乳人という落付きがあり、守り袋を右手にもった姿も悠暢として、大名の奥につとめる女性の気品が見られる。
半四郎については、第10図のときにも簡単に記したが、当時の役者評判記に、「誠に花実兼備の若女方」とある評語はこの絵にぴったりである。
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13・鷲塚八平次
この絵は、寛政六年五月河原崎座上演の「恋女房染分手綱」に出る役である。由留木家を狙う悪人、鷲塚官太夫の弟の役で、これは大敵(おうかたぎ)でなく端敵(はかたぎ)である。小柄できびきびした役者であるが、安手で小敵の役柄に適した虎蔵の面目がよく出ている。
この端敵の役柄を的確に描いているということで、この絵はいかにも歌舞伎味あふれた役者絵として人々によろこばれている。
顔の化粧はトノコを使っているし、月代も濃い青黛、それに髭のあとである。濃紫の着物、黒の裃など色彩が濃いこともこの絵に歌舞伎味を与えている。表情もはなやかである。下唇をかみしめ、眼をむいている。その眼の目ばりの赤が派手である。写楽第一期中の佳作といえる。
谷村虎蔵は、谷村楯八の門人で大阪の小芝居出で出世した上方役者である。寛政四年に二十四歳の時江戸へ下り、同七年に二世大谷友右衛と改名した。愛嬌があり安敵を得意とし、所作事にも長じていた。文政十二年には実悪、敵役で「功上々吉」になっている。天保元年春、七十歳の時大阪で没した。
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14・奴浮世又平と土佐又平
この絵は寛政六年七月都座上演の「けいせい三本傘」に登場する竜蔵と広次を描いた作である。この狂言には、善人の名古屋山三と悪人の不破伴左衛門があるが、その名古屋山三の下僕が広次の土佐の又平で、不破伴左衛門の下僕が浮世又平である。したがってこの二人の奴はやはり善悪の二人で、その役柄が対照的に表現されている。
即ち顔の肥痩、身体の肥痩、腕組みの前と後、着物の色の濃淡、襟の地味と派手、顔の内で眉の上下、口の開閉などである。写楽は全身図で、舞台上の役者を、下から仰ぎ見る描写を用いて構図美を示しているが、この絵は最もよい例である。また前にも記したが、二人を大きな三角形、一人一人を小さな三角形と、三つの大小の三角形の組合せで、画面の安定した機構美を示している。
見る人々は、これらの複雑な絵画構成に圧倒されるのである。その点この絵は第二期作中の傑作の一つである。色彩の派手さと美しさは、第一期作品の黒雲母に対し、第二期の白雲母では意識的に行われていて、これがこの期の特徴となっている。
嵐竜蔵については、第11図分の解説に記してあるが、三世大谷広次は、二世広次の門人で、宝暦十二年に鬼次から広次をついだ。評判記に、「いやみなき仕打」、「口跡よく愛嬌あり」、「男ぶりよく大柄にて調子よく通り」などと評されている。享和二年五月、五十七歳で没している。
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15・竹村定之進
この絵は写楽の代表的傑作である。寛政六年五月の河原崎座上演の「恋女房染分手綱」に登場する役で、この役は乳人重の井(第12図)の父であるが、重の井と伊達の与作(第27図)との不義のため主君から暇を賜わり、お能師であった彼はそのお別れに「道成寺」の鐘入の奥義を伝授することになり、妻桜木に舞わせ、自分は鐘の中で切腹して死ぬ役である。
つまりこの芝居の発端となるべき場面に登場する。しかしこの役は、つねに大立者が演じ、この切腹の場はいつも評判になった場面である(現在はこの場は上演されることがなく、後の「重の井の子別れの場」の方が上演されている)。
ここに描かれた鰕蔵の顔は、いかにも印象的であるが、奇怪と見る人もある。しかし奇怪と見る人は写楽の真の芸術を理解しない人といっていい。吊り上がった眉の下の眼は生きている。
引きゆがめられたロ許からは今にも声がもれそうである。顔面の屈線はえぐったように鋭く、物すさまじいまでに、当時役者の王者であった鰕蔵の偉大な芸格、風貌が精一杯にとらえられている。まことに写楽の芸術の大きさ、高かさを感ぜしめる。被写物の真をとらえないではいられない写楽の芸術の究極の意慾がここに結晶された思いがする。
市川蝦蔵は、五代目市川団十郎が、寛政三年に改名した名である。四代目団十郎の実子で、三世松本幸四郎から明和七年十一月に五世を襲った。ある評判記に「この上はよき薬を以て、もちっと太りを付けたいもの」とあるが、その評語にあてはまる風貌を写楽は如実に描ききっている。天明、寛政時代の江戸歌舞伎界の大御所であり、その芸風は、大場にして、唯一筋に狂言の道を立てることを主としたという。
文章にも長じ、反古庵といって俳旬を、花道のつらねと称して狂歌を能くした。寛政八年には向島に隠退して成田屋七左衛門と改名したが、その後四回、求められて舞台に立った。そして文化三年十月、六十六歳で没した。
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16・川島冶部五郎
この絵は、寛政六年七月、河原崎座上演の「二本松陸奥生長」に登場する敵役、川島治部五郎を描いた作である。この狂言の四立目富田介太夫を殺すのが、この川島治部五郎であるが、この場に現われる市川男女蔵の富田兵太郎(介太夫の子)の絵(第30図)も写楽にあって、これは二枚続となる絵であるが、この鬼次の一枚だけでも独立した名画であり、細判中の傑作の一つである。
背色の鼠地は暗夜が示され、その鼠地に対して、着付の濃い灰色(混緑のもある)と襦袢の紅は、何か陰惨な敵役を現わし、頬被りの手拭の白が、いかにも無気味である。右手をあげて兵太郎から顔多かくし、左手でぐっと柄頭を握った形。そして上半身から下肢へかけての力強い轡曲。また衣紋をあらわす描線の力強よさ。赤い眼隈と青い髭あとに彩られた顔面と横目に睨んだ表情の見事さ。内面的な写実と殺し場という雰囲気が、これ以上には描き得ない極致を見せている。
二世大谷鬼次は、三世大谷広次(第14図)の門人で、永助、春次をへて師の前名鬼次を継いだ。当時は実悪方の「上上白吉」の位にあった。寛政六年十一月には二世中村仲蔵の名をついで、写楽はこの襲名の時の狂言も描いているが、同八年十一月に三十六歳で没した。
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17・石井源蔵
この絵は、寛政六年五月都座の「花菖蒲文禄曽我」に登場する親の敵を討つ石井三兄弟の長男で、敵藤川l水右衛門(第25図)のために、返り討ちにあう石井源蔵を描いた作である。この作品は、写楽の半身像中では珍らしく上体の部分に動きがある。それには風になびいているような鬢髪のそよぎが効果を与えている。またこの毛彫りがすばらしい。
この鬢髪が、源蔵のいまにも敵水右衛門に飛びかかろうとする上体の構えを助け、口を結び、敵を前方ににらむ瞳みの真剣な力強さが、さらに敵に対し凝結した執念を表現している。斜に構えた刀が、画面を斜に横切る構図もすぐれている。これによって、この絵が統一され、一つのリズミカルな躍動が感じられる。白綸子の下着に対する黒の着物とその裳の褐色が、僅かな部分ではあるが、画面をひき立てて効果を上げている。
二世坂東三津五郎は、安永三年江戸に下った役者で、同五年二世を継ぎ、初代の実子が長ずるに及んで、寛政十一年その名を実子へかえし、白分は二世荻野伊三郎となった。文政十二年八十歳で没した。
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18・祇園町の白人おなよ
この絵も寛政六年五月都座上演の「花菖蒲文禄曽我」の登場人物である。これは第4図の半身二人立図に市川富右衛門の蟹坂藤馬とともに描かれている市松と同じである。この絵は、写楽の絵を漫画とし、醜くしとする人にとっての好例であるかもしれない。狐のような大きな顔、全く男のような目鼻立ち、それに対して派手な衣裳であり、島田髷(まげ)に笄(かんざし)、身体の矮少なところは、いかにも奇態である。
しかし、ここに写楽の芸術の実態を認めなけれぱいけない。それは、市松は女方であるということである。実際に女であれぱ、これは奇態であろう。しかし男である女方が女に扮した、その現実をこれほど描き得た作品は、多くの役者絵中に見ないところである。写楽以前の、また写楽以後の女方を描いた役者絵は、いずれも女方の顔をあたかも女性であるが如く美化して描いている。しかし実際において舞台の上の女方の顔はどうであろうか。
それは今日テレビの舞台中継の大写しの時、誰でもが感ずるところであろう。それでいながら舞台上の女方は実際の女以上に女らしい。それは芸の力である。この事実を考えれぱ、この狐のような顔に、顔に似合はない派手な衣裳は一向に気にならないのである。そして、市松の顔に迫真の描写力に驚嘆するのである。つまり男が女に扮するという、世界に類のない女方というものの真髄がここに描出されている。
むしろわれわれは、市松という役者を、これ以上に描くことが出来ないぎりぎりの描写を写楽に見るのである。派手な色彩の衣裳は、白人(私娼)という稼業であるからであり、さぞ舞台の上の市松は芸の力で艶麗であったろうと想像される。
市松については、4の図の解説で記してあるが、天明四年に三世市松となり、寛政十年には男役に転じて市川荒五郎となった。そして、文化十一年閏十一月、五十五歳で没した。当時は女方の「上上白吉」の位にあって、中堅の人気役者であった。
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19・鷺坂左内
寛政六年五月河原崎座上演の「恋女房染分手綱」に登場する人物鷺坂左内を描いたのがこの絵である。この狂言の由留木家の御家騒動で悪人方は鷲塚官太夫で、善人方は鷲坂左内である。この図は伊達の与作(第27図)の勘当場の左内であることが絵本番附によってわかる。端正な彦三郎の風猊が、この役にぴったりであることが、その顔の輪郭、眼の上の中途からひかれたマブタの筋の弧線と引き上げられた眼、力強い唇の線などによって十分把握されている。
いかにも切実味のある表情である。そして、構図的に、ここにも写楽独特の類似型描写が見られ、つまり左内の左向きの顔と右手にもつ雪洞の形の類似の二つが左右にあって、この絵に安定が与えられている。色彩は濃く、濃紫の着付けと橙色の肩衣が、写楽としては珍らしく濃厚で、この配色はいささかしつっこい。しかし、この絵が夜であることを考えると、写楽の意図もそこにあったのではないかと考えられる。
三世坂東彦三郎については、第18図の解説に記してあるが、「場当りを好まず」「コセつかぬ芸風」の評語そのままがこの絵に現われ、「至って実体なる気質、民俗律義なり」の彦三郎の性格も表現されている。
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20・鷲塚官太夫の妻小笹と鷺坂佐内の妻藤波
この絵は前図の坂東彦三郎の鷲坂左内の絵と同じく、寛政六年五月河原崎座上演の「恋女房染分手綱」の登場人物であるが、つまり善人悪人の二人の妻を描いている。第一期作品中二人立半身図は五枚あるが、この図だけが対面でなく、同一方向を向いた構図となっている。そのために、構図的にいささか平板である。また描線が多いのも写楽の画法としては異色である。また同じ系統の色彩が、二人の裲袖と帯の色に用いられているのも疑問である。
しかし、これらの点があったとしても、坂東善次の屈曲のある力強い性格描写には写楽の鋭い芸術力が見られる。
悪方の女方としては圧巻である。これに対して、喜代太郎の屈曲のない、おだやかな顔には善人方の女方の雰囲気が十分見られ、着附けの薄紅に年の若さが示されている。また二人の手の描写にも善悪の姿が見られる。二人の眼の形は違うが、目線が合っているのは、伊達の与作と乳人重の井の二人にそそがれているのであろう。これでこの絵は生きている。
坂東善次は当時実悪方であったが、そう上級の役者ではなかったが、写楽は善次をこの絵の外にも描いている(第28図)。そのマスクを写楽は好んだのであろう。岩井喜代太郎は、半四郎の門弟で天明七年、かるもから喜代太郎となった。寛政六年当時は、「上上半白吉」の位にあり、第一流の女方ではなかった。写楽はつねに上級の役者ばかりは描いていない。そこに特色がある。
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21・志賀大七
この絵は写楽の作品中代表作の一つである。寛政六年五月桐座上演の「敵討乗合話」の内の敵役の志賀大七がこれである。この図は色彩でも構図でも実に単純な絵である。それだけに印象的で感銘に力強いものが感ぜられる。焦点はそのマスクである。長い顔に高い鼻、しゃくられた長い顎、紅の眼隈に彩られた、ぐっと睨んだ物凄いくばんだ眼の光、三世高麗蔵の特異なマスクが、圧力をもつてせまってくる思いがする。
まさにヌボーとした気味の悪い敵役の典型的雰囲気といっていい。さらに、これに効果を与えているものが、内懐ろから出して、刀の柄頭を握ったポーズである。黒の着付けがさらにこの絵に雰囲気をもり上げている。そしてこの単純な色彩に、僅かに着物の裏の濃い茶色とほんのちょっとのぞいた襦袢の赤が加わっているだけで、高麗蔵という役者のもつ色気をここに表わしている。そこに写楽の役者描写の極致がある。
三代目市川高麗蔵は、四代目の実子で、安永元年九歳の時高麗蔵という名になった。天明三年に立役になり、寛政十年に実悪となり、享和元年に五世幸四郎を襲った。眼はくぼみ瞳は小さく凄みがあり、鼻の高いのが特徴で、俗た「鼻高幸四郎」と呼ばれた。若い時はやつし方であったが、実悪に転じてからは名声を高めた。芸風は繊巧で豪放、しかも写実的であった。一世の名優として天保九年五月、七十五歳で没した。
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22・大岸蔵人の妻やどり木
大岸蔵人は第7図である。その妻のやどり木で、寛政六年五月都座上演の「花菖蒲文禄曽我」に登場する。この絵は第18図の「三世佐野川市松の白人おなよ」の解説で記したことと同様のことのいえる作品である。着物は朱赤であり、裲襠は黒地に紅白の菊の散らし模様で、いかにも派手である。
これに比べて富三郎の顔は長く、眼は小さく、顎の骨は四角く張っていて、決して美しいとはいえない。この顔と着衣とは釣り合ってはいない。しかし、それでいてこの絵に全体としての均衡がこわれている感じは全くない。試みに、第7図の「三世宗十郎の大岸蔵人」とは夫婦役であるから、これを並べて置いて見るといい。宗十郎の端正さに対し、富三郎の奥方としての風格は決して不均衡ではない。
つまり富三郎の顔面が、男のような固さがあって美しくなくっても、写楽は女方としての富三郎の舞台上の生きた姿を描いているから、そこに何んの不均衡もなく、この絵一枚だけ見たとしても、顔と着衣の不均衡など感じられないのである。写楽は女方は美しく描くべきであるとは考えていない。舞台の上の役者、その芸、芸質をとらえることが意図であった。
二世瀬川富三郎は、三世瀬川丞の弟子で、天明四年に富三郎を襲名した。一生師の菊之丞の芸を真似たといわれるが芸達者であった。芸風から「にく富」「いや富」と綽名された。文化元年三月に没した。
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23・田辺文蔵
この絵は、寛政六年五月都座上演の「花菖蒲文禄曽我」に登場する、石井兄弟の内、源蔵(第17図)が返り討ちにあう場で水右衛門(第25図)に太股を斬られて足なえとなり、貧にせまり、妻おしづ(第2図)は病み、自分は躄車にのるというような悲運の人である。
その寂しさが、そのやつれが、胸もとで組み合わされたいじけたような両腕にも、両肩の落ちた、そして猪首につき出された首筋の弱々しさにも、のびた月代にも、後れ毛にも、うつろのような眼にも十分に把握されている。また、衣裳は「肩入れ」といって、零落した男女に用いるもので、肩、袖口に別なきれをはぎ合せた着であって、この文蔵の貧しさが示されている。
色といえば、黒とべニガラ色の二色で、僅かに袖口に緑色がのぞいているにすぎない。これほど役柄とその雰囲気が描破されている絵も少ないといえよう。
三世市川八百蔵は、第7図の三世沢村宗十郎の実兄で、最初は女方で二世菊之丞の門弟で瀬川雄次郎といったが、安永六年立役となり、文化六年には助高屋高助と改めたが文政元年、七十一歳で旅で没した。
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24・亀屋忠兵衛と中山富三郎の梅川
この絵は、写楽第二期の作品であり、第二期作品中全身二人立図七枚の内、これだけが白雲母背色でなく、黒雲母摺作品である。寛政六年八月の桐座の二番目狂言、梅川忠兵衛の芝居「四方錦故郷旅路」の大詰道行浄瑠璃の「月眉恋最中」の場を描いた作である。この図は実に歌舞伎味が豊かに表現されている絵で、歌舞伎の色彩、型、音楽、そして技芸、そうしたものの全ての情緒的な美しさがこの絵に盛られている。
「二十日あまりに五十両つかい果して二分残る」の死出の道行きである。せめて一目親に逢ってと、忠兵衛の親里・新ロ村へ落ちていく二人の心根は、舞台上の詩情であり、またこの絵に漲る詩情でもある。対の小袖、相合傘の二人連れは、歌舞伎の基調色である背色の黒雲母から浮び上って、画面はひろい舞台面となって、われわれを陶酔の境へと導いていく。
まことに舞台美を再現している役者絵の極致ともいうべきである。音楽的な描線の暢達、衣裳と顔面、手足との配色美、勿論これらが適切にこの絵を美しいものにしている。
三世市川高麗蔵については、第21図の解説に記してある
中山富三郎は、寛政から文政へかけてのすぐれた女方で、上方から下って四世松本幸四郎の門弟となり、女の情のこまやかさを表現すること無類といわれ、「ぐにゃ富」の緯名があった。文政六年九月、六十歳で没した。なおこの人は、三世高麗蔵の妹婿である。
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25・藤川水右衛門
この絵は、寛政六年五月都座上演の「花菖蒲文禄曽我」に登場する大敵役の藤川水右衛門を描いた作で、藤川水右衛門の名は、歌舞伎狂言の敵役中でも、有名な大悪逆人で知られている。写楽はこの大悪人を印象的に描いて半身図中屈指の傑作としている。着物は薄墨、襟の黒、袖口の濃緑、ただそれだけの地味な色彩でこの絵はまとめられている。最少の配色で最大の効果を見せるのは写楽の特色で、この図は最もよい例である。
またこの絵のすぐれた点は、その顔面描写にある。つき出した顔は無気味で、鬼気があり、凄みがある。ぐっと見る人に迫まってくる思いがする。眼隈が薄墨であるのも大悪人の雰囲気となっている。とにかく、写楽の気魄に押される絵である。すべてが地味で、背色の黒雲母がそれほど効果を見せた絵も少ない。
三世坂田半五郎は、当時実悪の「上々吉」で、悪方の役者として知られていた。前名は坂東熊十郎、天明三年三世を継いだ。寛政六年は二世半五郎の十三回忌に当るので、二世の当り役水右衛門を先代追善のために、この狂言を上演したという。しかし半五郎は翌年の六月、三十九歳で没した。
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26・けはい坂少将実はしのぶ
この絵は寛政六年五月桐座上演の「敵討乗合話」に登場する役で、、志賀大七(第21図)に父を殺され、その敵を討つ姉妹、宮城野としのぶ。そのしのぶがこの図である。敵を尋ねるため、けはい坂の少将という名で遊女となったその姿である。写楽が半身図で女方を描いた作の内では最も穏やかな描写である。それは米三郎が若く(この時二十一歳)、舞台上の米三郎の美しさそのままに写楽が描いたためと思われる。
つまり写楽は好んで異相を描くのではなく、その役者の舞台上の真を描くということを、この絵が証明しているといっていい。
また眼もとには真剣味があり、ロもとにはいいしれない真実味があるのも、敵を探す娘の心の内が描かれている。この絵は派手な色彩がまた特色である。小豆色に麻の葉模様の着付け、下着は薄紅に貝絞りの下着、紅の襦祥を懐ろから右手で見せた派手な色彩は、ただ派手でなく、大きな帯の黒の部分がひきしめている。さらに、左手にもった煙管の斜めの直線が、画面に安定を与えている。
松本米三郎は、上方の女方四世芳沢あやめの子で、二世松本幸四郎の弟子の松本小次郎の養子となって松本米三郎となった。寛政時代の人気女方であったが、文化二年六月、三十一歳で没した。
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27・伊達の与作
この絵は、寛政六年五月河原崎座上演の「恋女房染分手綱」で、乳人重の井(第12図)と恋におち、主家の勘当をうける伊達の与作を描いた作である。いわゆる二枚目の和事の役柄が完全に描かれている点、やはり写楽の佳作の一つである。
一見平凡のように見えて、やさ男で意志が弱く、じっと我慢して主家を追われる内面的な役柄が、その風猊にも衣裳の色彩にも表現されていて、写楽の描写力の厚み、奥行きがよく示されている。おどおどしたような眼、悲しみをこらえる口もと、躊踏する右手、これらの描写に切実味がある。また衣裳の色彩が和事師の感じを出している。
薄紫の着物に下着が黄と薄紅の二枚重ね。この薄い派手な色の配合が役柄のすべてを現わしている。
二世市川門之助は、初世門之助の養子で四世市川団十郎の門に入り、弁蔵と称し、明和七年に二世門之助を継いだ。風釆にすぐれ、舞台は華やかで人気役者であった。和事を主としたが、評判記に「とかく荒事が好きと見ゆるが、此の人はやはりしっぽりした事がうつりませう」とあるように、しばしば市川流の荒事もつとめた。寛政六年十月、五十二歳で没したが、写楽はその追善の絵(間判二枚絵)を描いている。そしてそれは荒事の暫の絵である。
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28・川つら法眼と鬼の佐渡坊
この絵は、寛政六年五月、河原崎座の切狂言として上演された「義経千本桜」の内川連館の場に登場する二人を描いたもので、写楽の第一期の半身二人立図の内の一つである。右の淀五郎の川連法眼は、吉野山にのがれた源義経をかくまっている役、一方左の鬼佐渡坊は、その義経を狙う悪僧横川覚範の手下の悪坊主である。
つまり善悪二人の対照をここに描いているわけであるが、他の二人立でいろいろの対照を見せているように、この絵でも、淀五郎の口が開いているのに対して善次のは結ばれているとか、淀五郎は指を握っているのに対し、善次はパッと開いている、淀五郎の長髪に対し善次の坊主頭などの対照を見せて、画面に変化を与えている。二人の役者の顔面描写は写楽独特の迫力があり、一人一枚の絵で見たいくらいである。
この場に登場する役としては、静御前、佐藤忠信、横川覚範があり、普通ならば川連法眼にこれらの人物を配すのが普通であろうが、写楽は他の図でもそうであるように、そうした常套にとらわれずに作画している。というのは、淀五郎、善次のマスクに自己の芸術を発揮する意欲を感じたことによると思われる。そこに写楽と地の絵師とのちがいがある。
二世沢村淀五郎は、当時実悪方で「上上白吉」の位置にあり、坂東善次については第20図の解説にも記したが上級の役者ではなかった。
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29・奴江戸兵衛
この絵は写楽作品中ではよく知られた有名な絵である。寛政六年五月の河原崎座上演の「恋女房染分手綱」に登場し、悪人鷲塚八平次の手下の役である。勿論悪人の一味でありこの絵を一見しただけで、敵役大谷鬼次のマスクに、またポーズにも敵役そのものの凄味が現われでいる。無理にも引きゆがめられて一文字に結ばれた口、角形の紅隈で限られた二つの陰惨な眼、パットひろげられた両手の表情には、見る人を引き込むような追力がある。
悪方の一瞬が、これほど緊迫感をもって描かれている絵はない。その緊迫感は、つき出した顔面を大きく描き、そこに重点が置かれているので、迫るカに圧倒されるのである。両手の描写にいささか不自然があるが、それはむしろ一つの雰囲気として必要であるだけで、さして問題ではない。それよりも、この絵を傑作にしている一つの要素は、その色彩にある。
大敵でない、それでいて憎らしい、という端敵役であるために、その衣裳はかえって安手に派手であるのは歌舞伎の常道で、その役柄の色がここに出ている。紅穀色の地に黄の縞も派手なら、襦袢の紅、着物の裏の濃緑も派手である。この派手さが、不気味なマスクをさらに憎くたらしく見せている。写楽の芸術を直載に知るにいい作である。
二世大谷鬼次は、三世大谷広次(第14図)の門人で、永助、春次をへて師の前名鬼次を継いだ。当時は実悪方の「上上白吉」の位にあった。寛政六年十一月には二世中村仲蔵の名をついで、写楽はこの襲名の時の狂言も描いているが、同八年十一月に三十六歳で没した。
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30・宮城野
この絵について、あえて女方を描いた写楽の作品中の最上位におきたい名品である。寛政六年五月の桐座上演の「敵討乗合話」で、親の敵志賀大七(第21図)を妹のしのぶ(第26図)とともに討つ役、宮城野がこの絵である。
中山富三郎は、「ぐにゃ富」と綽名された役者である。舞台上の動作、仕科、口跡などにぐにゃぐにゃした特徴があり、そこに女らしさを現わして当時人気のあった女方である。その芸風をもつ富三郎という役者が、これほど切実に絵画となって表現されていることは、まことに驚異であり、写楽の偉大さを感ぜずにはいられない作品である。
顔面描写にも、肩からの線にしても、左手のあげ方、指の描写にしても、すべて富三郎の芸風、性格を如実に描いているといえる。長い顔、つり上った眉、小さな眼、しゃくれた頬におちょぼ口、一見不思議さの中になにか華やいだ、なめらかな印象を与えている。そして全体の姿態からゆったりとした雰囲気があって見る人に和やかな気分にさせる。写楽の絵は、人間を描き、その芸風を描き、僅か半身でありながら舞台上の雰囲気までも感じさせるのである。
中山富三郎は、寛政から文政へかけてのすぐれた女方で、上方から下って四世松本幸四郎の門弟となり、女の情のこまやかさを表現すること無類といわれ、「ぐにゃ富」の緯名があった。文政六年九月、六十歳で没した。なおこの人は、三世高麗蔵の妹婿である。
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31・大岸蔵人の妻やどり木と腰元若
第一期の作品中に含まれる二人立半身像は、いずれも、色彩にも人物にも一つの対照を見せているのが特徴である。この図でも、やせた富三郎と肥った万世の対照、比較的薄色の配色の富三郎と濃い色彩の万世との対称がある。そこに均衡と画面の安定がある。また神経質的な鋭角的な富三郎の面貌に対して、万世は丸味のある豊頬、さらに眼の描き方、手の方向、これも対称的である。この一つの対照が、どうにも動かせない必然的な構図となってわれわれに迫力となって迫ってくるのである。
この写楽の技巧は、二人立半身像で常に用いるにもかかわらず、われわれを魅了する力がある。そこには寸分のすきもないのである。
この図は寛政六年五月都座上演の「花菖蒲文禄曽我」の登場人物である。やどり木の図は第22図にも描かれている。
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32・富田兵太郎
この図は、寛政六年七月、河原崎座で上演の「二本松陸奥生長」の市川男女蔵役富田兵太郎を描いた作で、父親の介太夫が川島治部五郎に殺害される場にかけつけ、闇夜に提灯を治部五郎に差しつけ、刀に手をかけている姿は、第十六図の二世大谷鬼次の治部五郎と対になるものである。
暗夜を行く不安定な気分が、その足の運びに如実に示され、この役柄の表情が完全に描出されている。一見平凡に見えていて、写楽の神経の細かい観察力の非凡な手腕を知ることが出来る。
着物の薄紫に、袴の濃い草色が、背色の鼠地と落着いた配色を見せ、第十六図と併せ見ることによって、さらに効果的である。落款は東洲斎写楽であって、同じ細判でも後の単に「写楽画」とあるものとは格段の出来栄えである。
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33・名古屋山三と傾城かつらぎ
この図は寛政六年七月都座の「けいせい三本傘」の出演俳優を描いた作である。 この図で気のつく第一のことは、その色彩が背色の白雲母摺と対映して他の写楽の作品と比較して最も派手であるということである。名古屋山三の着物の宝づくしの模様も派手であり、かつらぎの薄紅の着物も派手である。
しかしこの派手さを、かつらぎの裲の黒が中央に位置して、しっかりと引きしめて、この絵を安定させているのは流石である。
第二に気のつくことは、その構図の機構美である。左上から画面を三角にとった思い切った構図に加えて、この絵はいくつかの三角型の集積によって成っていることである。さらに三角形の右辺を五段に段階をつけて単調をふせぎ、同時に調和を見せている。三角形を基調とする構図は写楽独特のもので、他の図にも見られるが、本図が最もその特徴を見せている。
以上の配色に対する神経と、構図上の機構美(空間の利用といってもいい)によってこの絵は生き生きと整っている。
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34・松本造酒之進
この絵は写楽の作品中最も地味な絵でありながら有数の傑作といえる。これは寛政六年五月の桐産の狂言、「敵討乗合話」の内の役で、浪人した上貧困のうちにあって、志賀大七(ニー座)のために殺害される役であるが、その寂しい疲れた不運な生活を送る造酒之進の役柄の境遇、性格が画面ににじみ出ている。着物は濃緑で、ただこれ一色の絵といってもいい。
この地味な着物に対して、やつれた、月代ののびた、鼻の下やあごの薄くのびた髭、うつろのような眼に、そのやつれが如実に感じられ、まさに芸質の物凄い再現といっていいであろう。扇子をもった手にも力がない。そこにもうらぶれた浪人の境涯が感じられる。
この松助は、後に松緑となり、息子が三世尾上菊五郎であり、文化時代に名優となった人で、「小幡小平次」や「天竺徳兵衛」といった怪談物、ケルン物を演じて名をなした。
文化十二年、七十三歳で没した。この五月狂言でも敵役佐々木岸柳を勤めているが、写楽はことさらにこの造酒之進の方を描いている。それもこの陰影の多い役柄に魅せられた結果と考えられ、いかにも写楽らしさが感じられる。
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35・子育観音坊と不破伴左衛門
この図は、寛政六年七月都座の 「けいせい三本傘」に出演した俳優を描いたものである。この絵ほど歌舞伎の独特の見得の美しさを感じさせる作はない。それほどに歌舞伎の舞台の瞬間美が見られる。その二人の見得の美しさを、写楽はくの字とへの字の交錯によって成立させている。即ち半五郎のくの字、八百蔵のへの字の姿態美である。
そしてこの二人が八百蔵の刀によってがっちりと結び合って渾然の美が形成されているのである。
配色は、半五郎が紋綸子と鼠の僧衣という単純に対し、八百蔵の織物の上下の複雑な色調の対映、これが、この絵をまた美しいものにしている。写楽の配色の神経のこまかさがここにも現われている。第二期の二人立大判作品中では、最も画面にもり上がる生き生きとした芸術美を感じさせる傑作といえよう。
なお、不破伴左衛門の上下の模様、雲の模様は歌舞伎の古くからある不破、名古屋の狂言以来、不破の役の定まった模様である。
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36・二見屋娘お袖
この図は、寛政六年七月、河原崎座上演の二番目狂言「桂川月思出」に登場する二見屋という宿屋の娘役である。
この絵は写楽第二期作品の細判中では出色の出来である。黄摺背色に、さらに黄八丈の縞を着物に描いたところに写楽の大胆な色彩感覚があるといっていい。全体にこの黄っぽい色彩をかっきりと引きしめているのが、黒い襟と裾廻し、そして濃緑の帯である。この二つの色め寸分の狂いのない位置の効果には素晴らしい写楽の芸術感が巧まずに現れている。
さらにこの絵を見事にしているものに、姿態の彎曲した歌舞伎の女形の女らしい描写がある。しかもこれを助けるものとして、左手の位置、そのもつ長煙管と左手で煙草をつめている、その左手の位置がある。この技巧は驚くぺき写楽の芸術であって、写楽が歌舞伎を熟知し、歌舞伎を実際に描写したことを示すものである。
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37・関取雷鶴之助と浮世土平
この図は、寛政六年七月河原崎座上演の「二本松陸奥生長」という伊達騒動を扱った狂言の登場役者である。
この絵は、ここでも写楽の機構美が発揮されているのを見る。それは四本の刀の枠の中に二人の役者の姿態がカッキリと構図されている巧妙さである。そこに画面としての美しさと、舞台上の美しさが印象深くわれわれに迫ってくる。
姿態といえぱ、立ち身の鬼次の後ろ向きの、しかも尻をくるりと此方へ向けた大胆な描写には、誰でもが一驚するところであろう。あまりにふてぶてしいこの姿態からは、この浮世土平という悪役の役柄の演技上の最高の描写が行われているのを見る。とても他の絵師の及ぶところではない。
これに対して男女蔵の力士の姿態は、まことに整った歌舞伎の見得の美しさが描かれていて少しの奇もない。その整調と、鬼次の破格の姿態との間に少しの不自然さもなく結びついている格調は、やはり写楽の芸術の卓抜さである。
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38・竹村定之進妻桜木
この図は、寛政六年五月河原崎座の「恋女房染分手綱」に登場する小佐ll晴世役の桜木である。
この常世という女方は、愁嘆事に秀いで、花やかさに乏しく「実六分花四分」と評された役者である。しかし当時の有名な女方であった瀬川菊之丞、岩井半四郎につぐ名女方であった。そうした常世の芸風が、この絵では実によく描出されていて、写楽の役者絵の本質を実によく具現しているといっていい。
顔面描写の固さにも、裲襠の緑に対して、着物の薄紅の対照にしても、襟の白の部分を広くとったことにも、どこか寂しさがあり、切腹して果てる妻の心情といったものが如実に感じられ、ごく地味な絵であるが、写楽の芸術を知る上では、最も重要な作品の一つであると思う。
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39・新口村孫右衛門と梅川
この図は、寛政六年八月桐座上演の二番目狂言、近松の梅川忠兵衛の「冥途の飛脚」を書き替えた「四方錦故郷旅路」の新口村の段を描いた作である。
恋ゆえに金につまって封印切りの大罪を犯してしまった亀屋忠兵衛は、恋人傾城梅川と死出の旅に立つ。最後の一月、実父新口村の孫右衛門に会いたいと親里を訪ねる。そこで計らずも、孫右衛門に出会い、勿論孫右衛門は梅川とは知らなかったが、草履の鼻緒の切れたのを直したり、何くれとない親切に、これが息子に大罪を犯させた梅川知り、追手を逃れる抜け路を、それとなく教えて二人を落してやるという情味豊かな場面である。
その二人の心の交流が、この絵にはあふれている。殊に富三郎の姿(演技といってもいい)に、舅につくす心情が、こよりをよる指先きにまでにじみ出ている感じで、そこには遊女でいながら遊女らしくない、女としての美しさが見られるところに写楽の偉大さがある。役者を描き、その役柄の心情までも描出しているこの作品は傑作の一つといっていい。
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40・都座楽屋頭取口上図
この図は、都座の楽屋頭取(多分篠塚浦右衛門)が舞台で口上の巻をひろげてつぎに上場する狂言や役者名、役名を読上げている図である。
楽屋頭取とは、こうした口上の読上げの外、楽屋全体の取締リや舞台の進行を計る役目であって、かつては一流の役者ではないが芝居のこと、故実やしきたりのことに精通し、その上役者たちにも顔のきく古参の役者がこの位置につくのである。
この図を見ても、その顔面描写に、その年輪のほどがうかがえて、まことに写楽の顔面描写の卓抜さには驚嘆すべきものがある。世界の肖像画家としての技倆は、この一図だけでも認められていい。しかもこの絵は僅かに柿色の裃と藍地の単衣だけの色彩である。それでいて、絵にこれだけの厚味と奥行きがあるのである。
巻の裏からすけて見える文字は、「自是二番目新板似顔奉入御覧候」とある。これによって、本図は、第一期につづいて、第二期作品の序図と見るべきである。
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